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The words they left behind

言葉の書架

彼らが残した、短い断章たち。タップすると、その言葉の背景が開きます。

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夫(そ)れ帷幄の中に籌策を運らし、千里の外に勝を決するは、吾子房に如かず。国家を鎮め、百姓を撫し、餉饋を給して糧道を絶たざるは、吾蕭何に如かず。百万の衆を連ね、戦えば必ず勝ち、攻むれば必ず取るは、吾韓信に如かず。此の三者は皆人傑なり、吾能く之を用う、此れ吾の天下を取る所以なり
私はなし得ることをする。ほかにどうしろと言うのか
イザムバード・キングダム・ブルネル

父マーク・イザムバード・ブルネル宛書簡(Brunel Institute, University of Bristol 関連アーカイブ所蔵と伝わる、1840 年代のもの)。原文 'I do what I can, what else can I do?' の意訳。正確な書簡番号・日付は一次史料で確定しておらず、息子 Isambard Brunel, Jr.『父の生涯と業績』(1870)ほかを経由して流布する伝承句として扱う

公園は共和国の肺である。誰もが同じ芝生の上を歩けるように
フレデリック・ロー・オルムステッド

『Central Park 第一次年次報告(Report of the Landscape Architect, 1858)』および『Prospect Park 設計報告書(1866)』の論旨を編者が要約。直訳ではなく、Rybczynski『A Clearing in the Distance: Frederick Law Olmsted and America in the 19th Century』(1999)が整理したオルムステッドの公園哲学の凝縮

シェフザーデは我が習作、スレイマニエは我が熟達の作、セリミエは我が棟梁作
ミマール・スィナン

弟子サーイ・ムスタファ・チェレビーが筆録したとされるスィナン晩年の口述自伝『テズキレトゥル・ビュンヤン(建築家の書)』および姉妹篇『テズキレトゥル・エブニエ(建築の書)』(1586頃、複数写本で伝わる)の趣旨。逐語引用ではなく、三作品に与えられた職階的自己評価の邦語意訳

ソロモンよ、わたしは汝に勝ちたり
ユスティニアヌス1世

ハギア・ソフィア献堂式(537年12月27日)に際してユスティニアヌス1世が発したと伝わる言葉。同時代人プロコピオスの『建築論』(550年代、ハギア・ソフィアに一巻を割いた)には見えず、10世紀前後の『パトリア・コンスタンティノポレオス』系の中世ビザンツ伝承で定着した。一次確定史料なし

私は自分が世の人の目にどう映るのか知らない。ただ自分には、真理の大海が目の前に広がっているのに、浜辺でより滑らかな小石や美しい貝殻を拾って遊んでいる少年のように思えるのだ
アイザック・ニュートン

晩年の談話(ジョゼフ・スペンス『Anecdotes, Observations, and Characters of Books and Men』1820年刊、およびデイヴィッド・ブリュースター『ニュートン伝』1855年所収の口伝)

天下を以て公と為す(天下為公)
孫文

孫文の揮毫(四字)として南京・中山陵正門および各地の中山紀念堂に自筆および模刻で残る。典拠は『礼記』礼運篇「大道之行也、天下為公」