ルーミー
愛は、 どこまで人を遠くへ連れて行けるか。
スーフィー最大の詩人、『マスナヴィー』六巻で愛と合一の道を詩に刻んだ
- マスナヴィー
- スーフィズム
- シャムス・タブリーズィー
- 旋舞
- メヴレヴィー教団
時代の空気
13世紀前半のホラーサーンはモンゴル侵攻の影に揺れた。一家は1212-1216年頃にバルフを離れ、1221年チンギス・ハーンの軍が町を焼く前に逃れる。バグダードやダマスカスを経て1228年頃セルジューク朝ルーム王国の首都コンヤに定住。アラーウッディーン・カイクバード一世がペルシア語学術と神秘主義を庇護し、アナトリアではペルシア・アラブ・トルコ・ギリシアの諸語が交差した。1258年のバグダード陥落前後、東方の難民と書物が集まる。
01バルフからコンヤへ――モンゴルの嵐を逃れて
1207年9月30日、中央アジアバルフ(現アフガニスタン北部バルフ州、かつてホラーサーン地方の大都市)に生まれた。本名ムハンマド・ジャラールッディーン・バルフィー。父バハーウッディーン・ワラドは、スンナ派ハナフィー法学と神秘主義を兼ねた当代屈指の説教師・学者で、「学者の王(スルタン・ル=ウラマー)」と呼ばれた。若きルーミーはこの父のもとで、クルアーン・ハディース・法学・神学・アラビア語文法・スーフィー古典を身につけていく。
1212-1216年頃(ルーミー5-9歳前後)、父バハーウッディーンは家族と弟子団を率いてバルフを離れた。理由は現地ホラズム王朝との政治的緊張とも、迫りつつあったモンゴル侵攻(1220年のチンギス・ハーンによるバルフ大虐殺を予見した避難)ともされ、諸説ある。いずれにせよ、この決断が家族を歴史の節目から救った――1221年、モンゴル軍はバルフを焼き払い、住民の大半を殺戮した。
一家はニシャプール(ここで若きルーミーが老いた神秘詩人アッタールと面会し、『神秘の書』を贈られたという伝説がある。史実性には諸説あるが、内の語りとしては重要)、バグダード、メッカ(巡礼)、ダマスカス、アナトリアのエルズィンジャン、ラレンデ(現カラマン)を遍歴した。ラレンデ滞在中の1224-25年頃、17-18歳のルーミーはゲヴヘル・ハトゥンと結婚し、翌1226年に長男スルタン・ヴェレドが生まれる。
1228年頃、一家はセルジューク朝ルーム王国の首都コンヤ(現トルコ中央部)に定住する。セルジューク朝のスルタンアラーウッディーン・カイクバード一世が学者としての父を重用し、ルーミー家はコンヤの宗教的権威の中心に迎えられた。
02父の死、そして法学者としての円熟
1231年、父バハーウッディーンが没した。24歳のルーミーは父の説教壇を受け継ぎ、以後、父の高弟ブルハーヌッディーン・ムハッキク・ティルミズィーのもとで九年間、本格的なスーフィー修行を受ける。シリア(ダマスカスとアレッポ)への遊学も二度行い、当時の最高学者たちに法学・神秘主義を学んだ。
1240年代前半のルーミーは、コンヤで最も尊敬される学者・説教師の一人になっていた。数百人の学生を持ち、スルタンの宮廷にも出入りし、法学者としての地位と名声を兼ね備えた――この段階の彼は、父と同じ「学者の王」の路線を順調に歩む法学者であり、まだ詩人ではなかった。
03シャムスとの邂逅――1244年、コンヤの街角で
1244年11月29日、コンヤの街角で37歳のルーミーは、放浪の托鉢スーフィー(1185頃-1247頃)と出会う。イラン・タブリーズ出身、60歳前後、粗末な黒いフェルト帽と修道衣を纏った異貌の人物だった。
伝承はこの邂逅の場面を様々に語る。最もよく語られる一つはこうだ――書物に囲まれて従者と歩いていたルーミーに、シャムスが問う。「あなたの書物と、ムハンマドの学問と、バーヤズィード・ビスターミー(初期スーフィーの巨人)の体験――どちらが偉大か」。ルーミーは答えに迷う。シャムスはその答えの躊躇の中に、この法学者の内なる渇きを見抜く。以後40日間、二人は誰にも会わずに密室に籠もって対話した(チッレハーネ、四十日の修行)。
40日が終わったとき、コンヤの学者ルーミーは消えていた。残っていたのは、詩人であり愛の神秘家であるルーミーだった。彼は学生を帰し、説教をやめ、シャムスと共にある時間だけを生きるようになる。弟子たちは嫉妬し、シャムスを邪魔者として排除しようとした。
1246年、シャムスは突然コンヤを去る(あるいは追放される)。ルーミーは激しい悲嘆に陥り、初めて詩が彼から溢れ出した。息子スルタン・ヴェレドに手紙を持たせ、シリアからシャムスを呼び戻した。1247年初、シャムスは再びコンヤに戻る。しかし同1247年12月、シャムスは再度姿を消し――今度は二度と戻らなかった。弟子の一部(あるいは次男の関与も疑われる)によって殺害されたという説が現在最も有力視されるが、単なる放浪の再開説も残る。
ルーミーはシャムスを捜してダマスカスを二度旅した。帰路、彼は悟った――「私が探しているのは、シャムスの外貌ではない。シャムスは私の内にいる。私は彼そのものになった」。
04『シャムセ・タブリーズィー詩集』――喪失が生んだ抒情
シャムス失踪後のルーミーは、愛する人の名を自分の詩の署名(タハッルス、ガザル末尾の詩人名)として用い続けた。これが『シャムセ・タブリーズィー詩集(ディーワーネ・シャムセ・タブリーズィー)』である。約40000行、3500篇を超えるガザル(短詩)と、1983篇のルバーイー(四行詩)を含む、ペルシア語詩の最高峰の一つ。
あなたがいなくなった日から、私は酒場の戸口で酔いどれの乞食になった。肩の衣は破れ、心の衣はもっと破れた。これを見てください、私はあなたのために狂ったのです――世の誉れも財も、すべて灰のように吹き飛ばして。
この詩集の特徴は、恋愛の抒情詩がそのまま神秘思想の核心である点にある。ペルシア詩の伝統では、恋人(ヤール)は同時に神でもあり、酒(メイ)は神的陶酔であり、酒場(ミェイハーネ)は修道の場である――この二重性の最も深い展開が『ディーワーネ・シャムセ』だ。
詩は即興で発せられ、従者が書き留めたと伝わる。街路で、庭で、湯屋で、説教の合間に、ルーミーは内から湧き上がる詩を口にし、弟子たちが追いかけるように筆写した。書斎で推敲された詩ではなく、存在の状態そのものが詩として現れたものである。
05『マスナヴィー・マアナヴィー』――霊的教導詩六巻
1258年から没年までの約十五年、ルーミーは最も忠実な弟子の懇願に応じて、スーフィー修道の体系的教導詩『マスナヴィー・マアナヴィー(霊的二行詩集)』六巻25000行を口述した。フサームッディーンが書き取る形で進められ、第一巻と第二巻の間には二年の中断(フサームッディーンの妻の死)がある。
冒頭十八行、いわゆる「(ナイ・ナーメ)」がスーフィー詩の最も有名な一節である。
聴け、葦笛がいかに嘆くかを。別離の物語を、葦笛が語るのを。葦原から切り取られてから、男も女もその嘆きに泣いている。私は別離に引き裂かれた胸を求める――そうしてこそ切望の痛みを分かち合えるのだから。
葦笛は、切り取られた葦である――本来の居場所から引き離された存在である。人もまた「存在の葦原」から切り取られた葦であり、その別離の嘆きこそが美しい音楽となる。神秘道の核心がこの比喩に凝縮されている。
六巻の構造は物語集の形式を取る――旧約・新約・クルアーン、インドやペルシアの民話、現地の世間話、下世話な笑話までが混在し、各物語が神秘主義的教説の例証として解釈されていく。表層は通俗的で滑稽な物語であっても、その下に必ず魂の旅の一段階が示されている。ルーミーはこれを「外皮の下に隠れた真珠」と呼んだ。
『マスナヴィー』は後世「ペルシア語のクルアーン」と呼ばれるほどの権威を獲得する。スンナ派・シーア派の別を問わず、アナトリアから中央アジア、インド亜大陸、バルカン半島まで、ペルシア語圏全域の精神的共通財となった。
06メヴレヴィー教団と旋舞(セマー)
1273年12月17日、ルーミーはコンヤで没した。臨終の床で周囲の悲嘆に対し、彼は「あなたがたは嘆くが、私はこれから愛するひとに会うのだ」と微笑んだと伝わる。彼の没日は「シャベ・アルース(婚礼の夜)」と呼ばれ、現在も毎年12月17日、世界中のメヴレヴィー教団で儀礼が行われる。
ルーミーの死後、長男スルタン・ヴェレド(1226-1312)が中心となり、師の教えを継ぐ組織としてメヴレヴィー教団(メヴレヴィーイェ)を体系化した(父の筆記者フサームッディーン・チャレビーが初代後継者として支えた)。「メヴレヴィー」とは「われらの師(マウラーナー)」の意で、ルーミーの別称「マウラーナー」に由来する。
教団の特徴的な儀礼が旋舞(、samāʿ)である。白い長衣に高い帽子を被った修道士(セマーゼン)が、右手を上(神から受け取る)、左手を下(地上へ分かち与える)に向け、ゆっくりと回転しながら音楽に合わせて円を描く。旋舞は単なる儀式ではなく、身体を通した観想であり、宇宙の天体の回転と魂の神への還帰を一つの所作で表現する。
オスマン帝国期、メヴレヴィー教団は帝国の文化的中枢と深く結びついた。アヤソフィア周辺のメヴレヴィー修道場(メヴレヴィーハーネ)はオスマン音楽・詩・書道の中心となり、スルタンにも熱心な会員が多かった。1925年、トルコ共和国のケマル・アタテュルクが全ての修道教団を禁止したが、1954年にコンヤのセマー儀礼が「文化行事」として復活し、現在では国連ユネスコ無形文化遺産に登録されている。
07詩性と宗教性――どちらが主か
ルーミーは詩人として読まれるべきか、宗教家として読まれるべきか。この問いはそれ自体、誤った二者択一である。
ペルシア語圏の古典詩――ハーフィズ、サアディー、ニザーミー、ウマル・ハイヤーム――の伝統では、詩は宗教の装飾ではなく、神秘思想が最も濃密に現れる媒体である。散文の神学書では書けない真理が、詩の曖昧さと多義性の中でのみ語り得る、という了解が千年続いた。ルーミーはこの伝統の頂点にいる。
だが同時に、ルーミーにおいて詩は目的ではない。彼は晩年、自分の弟子たちに「詩を書きたくはない。しかし彼ら(弟子たち)が詩しか受け取れないので、詩を口にするのだ」と漏らしている。彼にとって詩は道具であり、指し示す先は「愛における消尽()」と「神における存続()」――スーフィー修道の核心である。
20世紀後半のアメリカで、コールマン・バークスらによる英訳(散文的・自由詩的再構成)を通じて、ルーミーは「アメリカで最も売れる詩人」となった。ただしこの受容には、イスラム教的文脈を削ぎ落とし、普遍的スピリチュアリティーとして受け取る傾向が強い。元のペルシア語詩はクルアーンとハディースの引用で満ち、五行の礼拝・断食・巡礼への言及を欠かさない。ルーミーの「愛」は、厳密にイスラムの枠の中の愛である。詩性と宗教性は、彼においては切り離せない一つの光である。
08主要な出来事と著作
- 中央アジア・バルフに生誕、父バハーウッディーンの薫陶を受ける
- 家族と共にバルフを離れ西へ(モンゴル侵攻の避難)
- モンゴル軍がバルフを破壊(一家は既に遠く離れていた)
- ラレンデ(現カラマン)で17-18歳のルーミー、ゲヴヘル・ハトゥンと結婚
- 長男スルタン・ヴェレド誕生
- コンヤ(セルジューク朝ルーム王国首都)に定住
- 父バハーウッディーン没、24歳で説教壇を継承
- ブルハーヌッディーン門下でスーフィー修行、シリアにも遊学
- 37歳、コンヤでシャムス・タブリーズィーと邂逅
- シャムス、コンヤを一度去る
- シャムス、シリアから呼び戻される
- シャムス、再び失踪(殺害説有力)。『ディーワーネ・シャムセ』の詩群が溢れ出す
- 愛弟子フサームッディーンとの深い交わり、『マスナヴィー』の口述開始
- 『マスナヴィー・マアナヴィー』六巻25000行を完成
- コンヤで没、享年66。シャベ・アルース(婚礼の夜)
- スルタン・ヴェレドがメヴレヴィー教団を組織化
- トルコ共和国が教団を禁止
- コンヤのセマー儀礼が文化行事として復活
- メヴレヴィー旋舞儀礼が国連ユネスコ無形文化遺産へ
残した思想の輪郭
- シャムス・タブリーズィーとの邂逅 ― 法学者から詩人へ、一人の人間の全面的転回
- ― 喪失と愛の抒情、ペルシア語ガザル詩の最高峰
- 六巻 ― 物語形式によるスーフィー神秘道の体系的教導詩
- 葦笛の歌 ― 本来の居場所からの別離の嘆きとして存在を描く比喩の原型
- ファナーとバカー ― 神における自己の消尽と、その中での存続という修道の到達点
- メヴレヴィー教団と旋舞(セマー) ― 身体を通した観想、宇宙と魂の回転を一つの所作に
出典と確認メモ
13件- 文脈伝承として記録伝承
伝承: rumi.mdx Chapter 3 Shams 失踪 narrative (1246 年 Shams が突然 Konya を去る/追放、Rumi の悲嘆で詩が溢れ出す、息子 Sultan Walad...
- 文脈二次資料で確認済み研究上論争あり
研究上論争あり: quotes.ts rumi-1.context (13 世紀コンヤ、モンゴル侵攻を逃れた Rumi が晩年に弟子フサーム・アッディーンへ口述し続けた大作の巻頭十八行、葦笛=ネイの比喩) は学術 co...
- 解釈二次資料で確認済み要旨訳
要旨訳: 13 世紀コンヤ (現トルコ中央部、当時ルーム・セルジューク朝首都)、モンゴル侵攻を逃れたジャラールッディーン・ルーミー (1207-1273) が晩年に弟子フサーム・アッディーン・チェレビーへ口述し...
一次資料を開くMasnavi 第一巻冒頭十八行 (Nay-name, ニーの歌) のペルシア原文 + 多言語訳併載。'بشنو این نی چون شکایت میکند...
- 出典校訂版で確認済み要旨訳
要旨訳: 『マスナヴィー・マアナヴィー』第一巻 冒頭十八行(大意)
一次資料を開くNicholson 校訂は 20 世紀標準の Mathnawī critical edition (8 巻、1925-1940 全巻完成)。Vol. II にペ...
- 抜粋校訂版で確認済み原典確認済み
原典確認済み: 聴け、葦笛がいかに嘆くかを。別離の物語を、葦笛が語るのを。葦原から切り取られてから、男も女もその嘆きに泣いている
一次資料を開くMathnawī Daftar I 冒頭 'Nay-nāma' vv. 1-2: 'بشنو این نی چون شکایت میکند / از جدای...
- 抜粋原典で確認済み要旨訳
要旨訳: rumi.mdx frontmatter pullquote 「聴け、葦笛がいかに嘆くかを。別離の物語を、葦笛が語るのを。葦原から切り取られてから、男も女もその嘆きに泣いている」は Rumi 'Mas...
- 抜粋原典で確認済み要旨訳
要旨訳: rumi.mdx frontmatter pullquote 「聴け、葦笛がいかに嘆くかを。別離の物語を、葦笛が語るのを。葦原から切り取られてから、男も女もその嘆きに泣いている」 は Rumi 'Ma...
- 抜粋原典で確認済み要旨訳
要旨訳: rumi.mdx frontmatter pullquote 「聴け、葦笛がいかに嘆くかを。別離の物語を、葦笛が語るのを。葦原から切り取られてから、男も女もその嘆きに泣いている」 は Rumi 'Ma...
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要旨訳: rumi.mdx frontmatter pullquote 「聴け、葦笛がいかに嘆くかを。別離の物語を、葦笛が語るのを。葦原から切り取られてから、男も女もその嘆きに泣いている」 は Rumi 'Ma...
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要旨訳: rumi.mdx frontmatter pullquote 「聴け、葦笛がいかに嘆くかを。別離の物語を、葦笛が語るのを。葦原から切り取られてから、男も女もその嘆きに泣いている」 は Rumi 'Ma...
- 抜粋原典で確認済み原典確認済み
原典確認済み: 聴け、葦笛がいかに嘆くかを。別離の物語を、葦笛が語るのを。葦原から切り取られてから、男も女もその嘆きに泣いている
一次資料を開くMasnavi 全文 web、ペルシア語 + Nicholson 英訳パラレル。Daftar 1 line 1: 'Listen to this reed ho...
- 抜粋校訂版で確認済み原典確認済み
原典確認済み: 聴け、葦笛がいかに嘆くかを。別離の物語を、葦笛が語るのを。葦原から切り取られてから、男も女もその嘆きに泣いている。私は別離に引き裂かれた胸を求める――そうしてこそ切望の痛みを分かち合えるのだから。
一次資料を開くNay-nāma vv. 1-7。Nicholson 訳: vv. 1-2 'HEARKEN to the reed-flute, how it complai...
- 抜粋伝承として記録伝承
伝承: あなたがいなくなった日から、私は酒場の戸口で酔いどれの乞食になった。肩の衣は破れ、心の衣はもっと破れた。これを見てください、私はあなたのために狂ったのです――世の誉れも財も、すべて灰のように吹き飛ばし...
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ルーミーの思索に近づく、手に取って損のない版を三冊まで。 岩波・ちくま・講談社学術文庫を基本に、原著または定評ある英訳を一冊添えています。
入門ルーミー語録
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ルーミーの主著『精神的マスナヴィー』の解説
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