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風土の知恵

ウィリアム・シェイクスピア

William Shakespeare·1564–1616·イングランド·

生きるか死ぬか、 それが問題なのか?

人間のあらゆる感情を舞台に解き放った英国ルネサンスの劇作家

  • ハムレット
  • リア王
  • ソネット

時代の空気

宗教改革後のイングランドだ。エリザベス一世の晩年、国教会の制度は固まりつつあったが、カトリック残党の影は絶えず、火薬陰謀事件(1605年)はジェイムズ一世初期の不安を象徴した。ロンドンのテムズ南岸にはグローブ座、ローズ座、カーテン座が立ち並び、ペストでの劇場閉鎖と再開を繰り返しながら市民の娯楽を支えた。宮内大臣一座は新王の庇護で国王一座に昇格し、印刷業とパンフレット文化が世論を活気づける。ストラットフォードの中産階級の家に育った青年は、その熱気の中央に身を置くことになる。

01ストラットフォード・アポン・エイヴォン

1564年4月、イングランド中部ウォリックシャーのストラットフォード・アポン・エイヴォンに生まれた。洗礼せんれい記録は4月26日付で、誕生日は伝承で23日とされる。父ジョン・シェイクスピアは皮手袋てぶくろ職人・羊毛取引商として身を起こし、町の市参事会員、酒類監督官を経て、1568年には町長(バイリフ)にまで昇進した。母メアリー・アーデンは近郊の旧家アーデン家の小地主の娘で、夫より高い家格を持つと見られていた。

少年ウィリアムは、推定では地元のストラットフォード王立文法学校(King's New School)に通い、ラテン語とオウィディウス、プルタルコス、セネカを叩き込まれた。当時の文法学校の標準的なカリキュラムだが、彼の在籍記録は焼失しており、確証はない。オウィディウス『変身物語』は後に彼の詩作に最も影響した原典となる。14歳前後で父の事業が傾き、市参事会からも事実上退いた。一家は困窮し、大学進学は叶わなかった。

18歳の1582年11月、8歳年上のアン・ハサウェイと結婚。彼女はすでに妊娠3ヶ月だった。翌1583年5月に長女スザンナ、1585年2月には双子ふたごの長男ハムネットと次女ジュディスが受洗した。家族を抱えた20代前半の若者に何があったか ― 1585年から1592年までの「失われた年月(lost years)」は史料が極端に少なく、北部カトリック地主の家庭教師説、密りょう嫌疑による脱出説、旅回り劇団の俳優説など諸説あるが、いずれも推測の域を出ない。

02ロンドンの劇作家

1592年、ロンドンの劇作家ロバート・グリーンの遺稿パンフレット『百万の悔恨に買われた一文の知恵()』に、「我らの羽で美々しく装う改造鴉(upstart crow)」と揶揄やゆされる若い役者兼劇作家が登場した ― これがシェイクスピアへの嫉妬混じりの言及と見なされ、ロンドン劇壇に彼が頭角を現していたことを示す最初の記録となる。

1592年から1594年、ロンドンを襲ったペストで劇場が閉鎖されたとき、シェイクスピアは長編詩『ヴィーナスとアドニス』『ルクリース凌辱』をサウサンプトン伯ヘンリー・ライオスリーに献呈した。貴族への献辞は、彼が当時求めていたパトロネージュの形だった。

1594年、劇団「(Lord Chamberlain's Men)」の発足メンバーとなり、共同所有者(sharer)となった。看板俳優は希代きたいの名優リチャード・バーベッジ、座付き道化はウィル・ケンプ。シェイクスピア自身も脇役を演じた(の亡霊役や『お気に召すまま』のアダム老爺など)。彼の戯曲群は、史げき群(『ヘンリー六世』三部作、『リチャード三世』ら)から、軽妙な喜劇きげき群へと移っていった。

1596年8月、息子ハムネットが11歳で夭折ようせつした。死因は不明だが、当時のロンドン子どもを襲ったペストや感染症の可能性が高い。父はその夏、別の劇場でロンドンにいたとされる。家族の中心の死は、後年の『ハムレット』の名と響きあう。同年、父ジョンの紋章申請が認められ、シェイクスピア家は「ジェントルマン」となった。

03グローブ座、悲劇の十年

1599年、宮内大臣一座は深刻な劇場問題を抱えていた。前身の劇場「ザ・シアター(The Theatre)」の地主との借地契約をめぐる対立が決裂し、バーベッジ兄弟らは大胆な行動に出た。冬のある夜、彼らは大工を率いてシアターを解体かいたいし、テムズ川南岸まで部材を運搬。この材を中核として、新しい円形野外劇場「(The Globe)」を建設したのだ。屋根のない木造劇場、三千人収容、立ち見の平土間と回廊三層。シェイクスピアは劇団株式の12.5%を保有する共同所有者で ― 劇作家としてよりも、劇団経営者としての収益が彼の財を成した。

1599-1606年、彼はキャリアの頂点に立った。『ハムレット』(1600頃)、(1603)、(1605)、(1606) ― 四大悲劇ひげきが七年に集中した。深い性格描写、血と痛みと狂気、同時に高い詩的緊張感。各場面の独白どくはく弱強五歩格じゃくきょうごほかく(iambic pentameter)で書かれ、自然な英語のリズムに乗りながら韻文の格を保った。

1603年、エリザベス1世が死去し、スコットランド王ジェームズ6世が即位してジェームズ1世となった。国教会こっきょうかいをめぐる宗教緊張は続き、1605年には火薬陰謀かやくいんぼう事件 ― カトリック過激派が国会議事堂を爆破して新王と議会を殲滅しようとした ― が露見した。『マクベス』の弑逆と王位の正統性をめぐる主題は、この陰謀事件の余波の中で書かれている。宮内大臣一座は新王の直属劇団「国王一座(King's Men)」に昇格し、王室公演は年間十数回、劇団の地位は絶頂に達した。

『ハムレット』の「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ(To be, or not to be, that is the question)」独白は、英語文学の最も有名な一節となった。父の亡霊に復讐を命じられたデンマーク王子が、行動と存在を問う約70行の独白は、ルネサンス人間観の臨界を刻んだ。

04ソネット集、ブラックフライアーズ、ロマンス

シェイクスピアは劇作と並行して154編のソネットを書き続けた。1609年、書肆トーマス・ソープが『シェイクスピアの』を刊行する ― ただしシェイクスピア本人の許諾があったかは判然としない。冒頭の献辞は「これら以下のソネットの唯一の発生源 Mr. W.H. へ」とあり、この「W.H.」が誰を指すかは長く論争の対象となっている(サウサンプトン伯ヘンリー・ライオスリー説、ペンブローク伯ウィリアム・ハーバート説、印刷工の見立て説など)。前半126編は「美しい若者(Fair Youth)」に、後半28編は「ダーク・レディ(Dark Lady)」に向けられる。Fair Youthへの深い愛と憧憬は同性愛的含みをもち、Dark Ladyへの欲望は苦々しい肉体的愛を歌う。ソネット18番「Shall I compare thee to a summer's day?」は英語詩の至宝として記憶されている。

1608年、国王一座はテムズ北岸の旧修道院跡を改装した屋内劇場「ブラックフライアーズ座」も併用し始めた。グローブ座の野外興行に対し、ブラックフライアーズは蝋燭灯火とうかと高価格、より洗練された観客に応じた。シェイクスピア晩期のロマンス劇(伝奇劇)『ペリクリーズ』『シンベリン』『冬物語』(1611頃)は、悲劇と喜劇の融合、奇跡的な和解、魔術と遠い島 ― 老年の穏やかな詩情に彩られる。『テンペスト』のプロスペロが魔術を放棄する場面は、シェイクスピア自身の舞台からの別れとしばしば読まれる。

全世界は一つの舞台、すべての男も女も、ただ役者にすぎない。彼らは退場しては、また登場する。そして一人が生涯で多くの役を演じる ― 七つの年齢を。

『お気に召すまま』第二幕第七場

05引退、そして死

1613年頃、シェイクスピアはロンドンの活動を縮小し、故郷ストラットフォードの邸宅ニュー・プレイス(1597年に購入した町最大級の家)に戻った。同年6月、グローブ座は『ヘンリー8世』上演中の舞台砲火ぶたいほうかで全焼。再建された新グローブ座に彼がどう関わったかは不明。最後の単独作はおそらく『ヘンリー8世』『二人の貴公子』(ジョン・フレッチャーとの合作)で、1613年前後に幕を下ろしている。

晩年は比較的穏やかだった。次女ジュディスの結婚(1616年2月)の直後、彼は体調を崩した。4月23日(伝承によれば誕生日と同じ日)、52歳で死去。遺言書はその数ヶ月前から作成され、3月25日に修正されている。妻アンには「二番目に上等なベッド」を遺贈するとの奇妙な条項があり、後世の推測を呼んだ(当時の慣習では夫婦の愛用ベッドは二番目の方が親しみ深いものだった可能性も)。財産の大半は長女スザンナへ託され、孫の代で家系は途絶えた。

ホーリー・トリニティ教会の祭壇の傍らに埋葬された。墓碑銘ぼひめいには彼自身の手になると伝わる呪いの言葉が刻まれている ― 「友よ、イエスのために、ここに封じられた塵を掘り起こすことを控えよ。この石を守る者は祝福され、わが骨を動かす者は呪われん(Good friend for Jesus sake forbeare, To digg the dust encloased heare)」。墓荒らしへの警告は、現代に至るまで効力を保っている(2016年のレーダー調査は墓の頭部が既に外されている可能性を示唆した)。

死後しご7年の1623年、かつての劇団仲間ジョン・ヘミングズとヘンリー・コンデルが編纂した戯曲全集『シェイクスピア氏の喜劇・史劇・悲劇集()』が刊行された。生前の四つ折版(クォート)に未収録だった『マクベス』『テンペスト』ら18作を含む36戯曲を収め、これがなければ作品の半数が失われていた。劇作家ベン・ジョンソンは追悼詩で「彼は一つの時代のものではない、すべての時代のものだ」と書いた。

06「シェイクスピアは誰か」 ― 作者論争

19世紀以降、「田舎の手袋職人の息子」が膨大な古典知と宮廷礼法と法律知識を要する作品群を書けたはずがない、という疑問が繰り返し提起されてきた。フランシス・ベーコン、オックスフォード伯エドワード・ド・ヴィア、クリストファー・マーロウ(1593年に若くして殺害)、他の貴族や劇作家らを真の作者とする説が、繰り返し主張されてきた。マーク・トウェイン、ヘンリー・ジェイムズ、フロイトといった著名人が懐疑論者に含まれる。

しかし主流の英文学・書誌学研究は、同時代の証言(ベン・ジョンソンの追悼詩、1623年のFirst Folio編纂者ヘミングズとコンデルの明示)、ストラットフォード記念碑、戸籍記録、劇団員の証言を総合して、ストラットフォードの彼を作者と認める立場でほぼ合意している。作者論争は根強い文化的現象として残るが、学術的には決着した問題であり、対立する諸説を対等に扱うのは誤解を招く。

重要なのは、作者の身元よりも、作品が残していった人間観の射程である。王と乞食、老人と道化、恋する若者と嫉妬する夫、狂女と思索する王子 ― 人間のあらゆる状態を、詩に耐える緊張感のなかで描ききった劇作家の仕事は、400年間、世界の舞台と読書を動かし続けてきた。

07主要な出来事と著作

  1. ストラットフォード・アポン・エイヴォンに誕生(洗礼4月26日)、父は皮手袋職人
  2. 18歳、アン・ハサウェイ(8歳年上)と結婚
  3. 長女スザンナ、双子ハムネットとジュディス誕生
  4. 失われた年月(lost years)― 諸説あるが史料は乏しい
  5. グリーンの『群居鴉』で「改造鴉」と揶揄される、ロンドン劇界初出記録
  6. 『ヴィーナスとアドニス』『ルクリース凌辱』をサウサンプトン伯に献呈
  7. 宮内大臣一座の共同所有者となる
  8. 息子ハムネット(11歳)夭折。家紋認可で「ジェントルマン」に
  9. シアター部材を移設しグローブ座を建設
  10. 四大悲劇:『ハムレット』『オセロー』『リア王』『マクベス』
  11. ジェームズ1世即位、劇団は「国王一座」に昇格
  12. 火薬陰謀事件 ― 『マクベス』の主題と響きあう
  13. ブラックフライアーズ室内劇場併用、ロマンス劇『冬物語』『テンペスト』
  14. ソネット集刊行(献辞「Mr. W.H.」の謎)
  15. グローブ座焼失、引退しストラットフォードへ
  16. 4月23日、ストラットフォードで死去。享年52
  17. ヘミングズとコンデルによるFirst Folio(全戯曲集)刊行

残した思想の輪郭

  • 人間観の射程 ― 王から道化まで、あらゆる階層・性別・年齢の内面を詩に耐えさせる
  • 自己劇化する独白 ― ハムレットに典型の、行動と存在を思索する独白の発明
  • 悲劇の道徳的曖昧さ ― 善悪を単純化せず、マクベスやオセローのような転落する主人公の人間性を保つ
  • 愛と権力の結合 ― ソネットに見る感情の強度と、歴史劇に見る政治的現実主義の両立
  • 英語の拡張 ― 約1,700語の新語を英語に残したとされ、言語文化そのものの形成者
1616年4月23日、ストラットフォード・アポン・エイヴォンの自邸で死去。52歳(伝承では誕生日と同じ日とされるが確定しない)。
7
  • 解釈原典で確認済み要旨訳

    要旨訳: 父王の亡霊に復讐を命じられた王子が、クローディアスとポローニアスの盗み聞きには気づかぬまま、オフィーリアと出会う直前の場面で語り出す独白。原文「To be, or not to be」は単なる自殺の問...

    一次資料を開くHamlet 全文 (public domain)。Act III Scene i に 'HAMLET. / To be, or not to be, that...

  • 抜粋原典で確認済み定本確認済み

    定本確認済み: 全世界は一つの舞台、すべての男も女も、ただ役者にすぎない。彼らは退場しては、また登場する。そして一人が生涯で多くの役を演じる ― 七つの年齢を。

    一次資料を開くAs You Like It II.vii.139 ff.: 'All the world's a stage, And all the men and wom...

  • 抜粋原典で確認済み定本確認済み

    定本確認済み: 生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ

    一次資料を開くFolger Shakespeare Library Hamlet 校訂版。Act 3 Scene 1 'To be, or not to be, that i...

  • 出典原典で確認済み原典確認済み

    原典確認済み: shakespeare.mdx pullsource 「『ハムレット』第三幕第一場」は Hamlet Act 3 Scene 1 'nunnery scene' を指し、frontmatter pul...

    一次資料を開くFolger 校訂 Hamlet III.i 'nunnery scene'。'To be, or not to be' soliloquy 所在を canon...

  • 引用原典で確認済み定本確認済み

    定本確認済み: 全世界は舞台である。そしてすべての男女はただの役者にすぎない

    一次資料を開くII.vii.139-140: 'All the world's a stage, / And all the men and women merely pla...

  • 引用原典で確認済み定本確認済み

    定本確認済み: 明日、また明日、そして明日と、一日一日、時のちっぽけな歩みで忍び寄り、記録された時間の最後の音節に至るまで ― 人生は歩く影、哀れな役者にすぎない

    一次資料を開くMacbeth V.v: 'Tomorrow, and tomorrow, and tomorrow, / Creeps in this petty pace ...

  • 引用原典で確認済み要旨訳

    要旨訳: quotes.ts shakespeare-4.text 「天地のあいだには、ホレイシオ、お前の哲学では夢にも思わぬ事柄がもっとある」は Hamlet Act 1 Scene 5 line 167-1...

    一次資料を開くHamlet 1.5。学術 canonical critical edition。'There are more things in heaven and ea...

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