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道元·1200–1253·日本

仏道をならふといふは、自己をならふ也。自己をならふといふは、自己をわするる也

道元『正法眼蔵』現成公案巻

この言葉の背景

入宋して身心脱落を印可された道元が、帰朝後まもなく書いた『正法眼蔵』のなかでも、古来もっとも読まれてきた現成公案巻の冒頭近く。仏道は遠い理想を掴む営みではなく、自己を徹底して習う作法だ、と始める。しかしその先で、習い切った自己は手放されねばならない。修と証を切り分けない只管打坐の構えが、漢字仮名交じりの静かな息づかいで差し出される。

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    定本確認済み: dogen-1 context は『正法眼蔵』現成公案巻 (1233 年、九州博多の俗弟子楊光秀 [Koshu Yō] のために書かれた) の冒頭近くを指す解説として正確。「仏道をならふといふは、自己...

  • 抜粋原典で確認済み定本確認済み

    定本確認済み: 仏道をならふといふは、自己をならふ也。自己をならふといふは、自己をわするる也

  • 抜粋原典で確認済み定本確認済み

    定本確認済み: 仏道をならふといふは、自己をならふ也。自己をならふといふは、自己をわするる也。

  • 出典原典で確認済み定本確認済み

    定本確認済み: dogen.mdx pullsource '道元『正法眼蔵』現成公案巻' は学術 standard 通りの正確な書誌帰属。現成公案巻は天福元年(1233年)に俗弟子楊光秀宛て書簡として執筆され、のち7...

  • 引用二次資料で確認済み要旨訳

    要旨訳: 有時といふは、時すでにこれ有なり、有はみな時なり

道元の別の一句