カール・グスタフ・ユング
個人の無意識の奥に、人類に共通する「古層」はあるのか? 自分を生きるとは、何を生きることなのか?
集合的無意識・元型・個性化・共時性を軸に、心理学を神話と東洋思想に接続した分析心理学の創始者
- 分析心理学
- 集合的無意識
- 元型
- 個性化
- 共時性
時代の空気
19世紀末のスイス・トゥールガウは改革派教会の牧師館が地方の精神生活を律する地帯で、医学生のユングはバーゼルでクラフト=エビング『精神医学教科書』に出会った。1900年に助手となったチューリヒのブルクヘルツリでは、上司ブロイラーが統合失調症を命名する精神医学の最前線だった。1907年フロイトとの初対面は精神分析が国際運動になる入り口で、1909年にはクラーク大学で米国へ渡る。1913年のフロイト決裂と前後して「世界大戦の前兆」を幻視し、危機の年月を経て1923年から自ら石を積み始めたボリンゲンの塔と、1948年設立のC.G.ユング研究所が晩年の拠点となった。
01牧師の息子、ブルクヘルツリへ――精神医学への道
1875年7月26日、スイス・トゥールガウ州ケスヴィルの牧師館に生まれた。父パウルはスイス改革派教会の牧師、母エミーリエはバーゼル教会史家の家系。幼少期のユングは二つの人格を自身のうちに感じていた――日常の「第一の人格」と、古風で荘厳な「第二の人格」。後年の無意識論の原風景である。
1895年、バーゼル大学医学部入学。当初は外科志望だったが、クラフト=エビング『精神医学教科書』との出会いで方向転換。「ここに、客観的自然と精神の内的事実とが交差する唯一の場所がある」と感じた、と自伝『思い出・夢・思想』に記す。1900年、チューリヒのブルクヘルツリ精神病院でオイゲン・ブロイラー(統合失調症の命名者)のもと助手となる。
ブルクヘルツリで彼は語連想実験を組織的に研究し、特定の刺激語に対する反応時間の遅延・生理変化から、意識下に抱えられた情動的な観念の集まりを検出した。これを「複合(Komplex)」と名付け、1904年の『診断的語連想研究』で発表する。客観的に測定可能な形で無意識の痕跡を捉える装置として、フロイト自身がこの仕事を高く評価した。
1903年、裕福な実業家の娘エンマ・ラウシェンバッハと結婚、五人の子をもうける。エンマは終生、ユングの最も近い分析の協力者であり続けた。
02フロイトとの蜜月、そして決裂
1906年、ユングは『夢判断』を読み、フロイトに手紙を送る。1907年2月、ウィーンで二人は初対面、13時間ぶっ通しで話したと両者は書き残す。フロイトは19歳年下のチューリヒの助手を「皇太子(Kronprinz)」と呼んだ。1909年、二人は共にアメリカ・クラーク大学に招かれ、G.S.ホールの主催で講義。欧州外で初めて精神分析が公認された歴史的機会だった。
1910年、国際精神分析協会創設、ユングは初代会長。当時34歳。しかし蜜月は1913年までに終わる。決裂は理論と気質の双方にわたった。
理論面――フロイトはリビドー=性的欲動という一元論を譲らなかったが、ユングは1912年『リビドーの変容と象徴』(Wandlungen und Symbole der Libido、のち大幅に改訂されて『変容の象徴』Symbole der Wandlungとなる)で、リビドーをより一般的な心的エネルギーとして再定義し、神話や宗教像をその象徴的変換と読んだ。フロイトはこれを性欲論の裏切りと受け取り、1913年ミュンヘン大会で二人は公然と対立、往復書簡は同年内に途絶える。翌1914年、ユングは国際精神分析協会会長職を辞し、協会からも脱退した。
気質面――「父と息子」の関係そのものが限界に達していた。フロイトはユングの気絶事件(1909年ブレーメン、1912年ミュンヘン)を「息子による父殺し願望」と解釈し、ユングはそれを権威主義的決めつけと感じた。
03「死者との対面」――『赤の書』の年月
フロイトと決裂した1913年から1917年、ユングは自身を深刻な心的危機の只中に置いた。幻視、圧倒的イメージ、声。彼は世界大戦の前兆を幻視で見たとも、自分が精神病の入口に立ったとも書いている。ブルクヘルツリを既に辞し、チューリヒ大学の教職も降りた。彼は自分の内的イメージと対話することに時間を費やした。
この年月の産物が、『』(Liber Novus)である。ユングは1913年以降の幻視をまず黒革表紙の日誌(のち Black Books と呼ばれる)に記録し、のちにその素材を赤革に金文字で装丁された大判の手稿へ中世写本風に清書・彩飾していった。ユングはこの手稿を生前公刊せず、家族だけが存在を知っていた。2009年、孫の承諾で初めて公刊された。ドイツ語の書法字体、中世風の挿絵、彼自身の手になる象徴的絵画。それは治療でも哲学書でもなく、幻視との対話の記録だった。
この時期のイメージから、彼の主要概念が結晶する――(個人の経験を超えた、人類に共通する心的古層)と(Archetypus)(その中で反復的に現れるイメージの鋳型)。(Schatten)、アニマ/アニムス、老賢者(Der Weise Alte)、(Selbst)。これらは概念であると同時に、夜ごと現れる対話相手だった。
1921年、『』(Psychologische Typen)刊行。内向/外向の二方向と、思考・感情・感覚・直観の四機能の組合せで八つの類型を提示した。この類型論は単なる性格分類ではなく、フロイト派とアドラー派との方法論的対立(リビドーの性欲解釈 vs. 権力への意志)そのものを、分析家自身の類型的偏向として位置づけ直す試みだった。類型論の序章でユングは、思想史上の敵対――ルターとツヴィングリ、プラトンとアリストテレス――を、主観=外向/内向と機能の偏りから再読する。のちのマイヤーズ=ブリッグス式指標(MBTI)はこの類型論を土台にブリッグス母娘が発展させたものだが、ユング自身は類型を診断ラベルとして固定することに生涯警告を発し続けた。
外を見る者は夢みる、内を見る者は目覚める。
04集合的無意識と個性化――神話との対話
1920年代から1940年代、ユングは世界各地の神話と象徴体系を渉猟する。アフリカ(1925-26、エルゴン山の滞在)、インド(1938)、プエブロ・インディアン、アリゾナのタオス。各文化に通底する元型の反復を確認する旅だった。
同時期、彼は錬金術に深入りする。一見、中世の疑似科学にしか見えない錬金術文献を、投影された無意識の象徴体系として読み直した。『』(1944)、『アイオーン』(1951)、『結合の神秘』(1955-56)の三部作で、彼は錬金術の「卑金属から金へ」という過程を、心理学的な(Individuation)――すなわち自己を生きるプロセス――のアレゴリーとして再構成した。
個性化とは何か。それはエゴが自己(Selbst)と出会う過程である。影を引き受け、アニマ/アニムスと関係を結び、自分の中の集合的な層に下り、しかし呑み込まれずに戻ってくる。人生の後半、とくに40歳以降の課題。若さの仕事が社会への適応だとすれば、後半の仕事は内への適応である、と『心の構造と力動』で彼は書く。
この時期、東洋思想への関心も深まる。リヒャルト・ヴィルヘルム訳『黄金の華の秘密』序文(1929)、『易経』への序文(1949、カリー=ベインズ英訳)、鈴木大拙『禅仏教入門』への序文(1939)。西洋の個性化の道と、禅・道教の悟りの道を注意深く並置し、しかし安易な合体を戒めた。
05共時性――因果の外にある意味
晩年のユングが最も議論を呼んだ概念は(Synchronizität)である。因果関係で結べない二つの出来事が、「意味」において接続して起こる現象――夢で見た人物が翌朝ふと電話をかけてくる、患者が黄金の甲虫の夢を語っているとコガネムシが窓に飛び込む。
1952年、ヴォルフガング・パウリ(量子力学のノーベル賞物理学者)との共著『自然現象と心の構造』(Naturerklärung und Psyche)で、共時性は正式に提示された。ユングとパウリは1930年代から十数年の往復書簡を重ねた――物理学者が内的イメージの分析を受け、心理学者が量子力学の非局所性に耳を傾ける稀有な対話である。
1948年、チューリヒにC.G.ユング研究所が設立され、分析心理学の制度的拠点となる。同時期、ユングはボリンゲンの塔(1923年着工、以後数十年かけて自身で石を積んで増築した湖畔の石造りの塔)での沈黙の時間を深めた。電気も水道も引かず、薪で暖を取り、石に彫刻を施し、夢を記録した。「ここで私は、自分の人生の中心に最も近い」と彼は書く。
1955年、妻エンマ死去。以後の晩年、ユングは自伝の口述『思い出・夢・思想』(Aniela Jaffé 編、1962)を進め、BBCインタビュー「Face to Face」(1959、John Freeman)では「神を信じるか」と問われて、「信じる、とは言わない。私は知っている(I know)」と答えた。
1961年6月6日、キュスナハトの自邸で死去、85歳。キュスナハト教会墓地に眠る。
06主要な出来事と残した思索の輪郭
- 7月26日、スイス・ケスヴィルの牧師館で誕生
- バーゼル大学医学部、精神医学へ転向
- チューリヒ・ブルクヘルツリ精神病院、ブロイラーに師事
- エンマ・ラウシェンバッハと結婚
- 語連想実験、複合(Komplex)概念を確立
- ウィーンでフロイト初対面、13時間の対話
- フロイトとクラーク大学講演、米国で精神分析公認
- 国際精神分析協会初代会長、34歳
- 『リビドーの変容と象徴』でフロイトと理論的決裂
- 国際精神分析協会会長職辞任、協会からも脱退
- 「死者との対面」の危機、『赤の書』の幻視期
- 『心理学的類型』、内向/外向と四機能
- ボリンゲンの塔、着工(以後数十年自身で増築)
- ヴィルヘルム訳『黄金の華の秘密』序文、東洋思想との本格対話
- 錬金術三部作、個性化の象徴論
- チューリヒにC.G.ユング研究所設立
- パウリと共著『自然現象と心の構造』、共時性
- BBC「Face to Face」──「私は知っている」
- 6月6日、キュスナハトで死去、85歳
残した思索の輪郭
- 複合(Komplex) ― 測定可能な無意識痕跡の発見、精神分析の初期貢献
- 集合的無意識と元型 ― 個人史を超える心的古層、神話との体系的対話
- 個性化(Individuation) ― エゴが自己と出会う人生後半の課題
- 影・アニマ/アニムス・老賢者・自己 ― 内的対話の相手としての元型群
- 心理学的類型論 ― 内向/外向と四機能、現代の性格類型論の源流
- 共時性(Synchronizität) ― 因果なき意味連関、パウリとの物理学=心理学対話
- 東洋思想との対話 ― 易経・禅・道教への序文群、安易な合体を戒める越境
出典と確認メモ
8件- 文脈原典で確認済み要旨訳
要旨訳: jung.mdx Chapter 4 段落: ユング後期の錬金術三部作『心理学と錬金術』(Psychologie und Alchemie, 1944)、『アイオーン』(Aion, 1951)、『結合...
- 文脈二次資料で確認済み要旨訳
要旨訳: この警句は『心理学と錬金術』本文ではなく、1916年10月22日付Fanny Bowditch宛書簡(『C.G. Jung Letters』Vol.1 p.33)に由来すると扱うのが正確である。流布し...
一次資料を開くHarvard Countway Library 所蔵書簡原本の archival 裏付け。書簡は 1916年付で Jung から Bowditch 宛
- 抜粋原典で確認済み定本確認済み
定本確認済み: 外を見る者は夢みる、内を見る者は目覚める
一次資料を開くHarvard Countway Library 所蔵 Fanny Bowditch Katz papers (1901-1934) — Jung からの書簡原...
- 出典二次資料で確認済み要旨訳
要旨訳: pullsource は『C.G. Jung, Letters Vol.1 p.33、1916年10月22日付Fanny Bowditch宛書簡』と表示するのが正確である。『未同定』framing は...
一次資料を開くHarvard Countway Library 所蔵書簡原本の archival 裏付け
- 出典原典で確認済み定本確認済み
定本確認済み: jung.mdx pullsource 'Fanny Bowditch宛書簡(1916)' は pullquote「外を見る者は夢みる、内を見る者は目覚める」の出典として、C.G. Jung が 19...
一次資料を開くHarvard Countway Library 所蔵書簡原本の archival 裏付け。書簡は 1916年付で Jung から Bowditch 宛
- 要旨訳伝承として記録伝承
伝承: 英語圏で『Until you make the unconscious conscious, it will direct your life and you will call it fate』(無...
- 思想原典で確認済み要旨訳
要旨訳: 自己を知ることは、知らぬ顔をしたかった自分の影と出会うことでもある
一次資料を開くIAAP 公式 Collected Works abstract: Aion CW 9ii の Ch.I (Ego), Ch.II (Shadow), Ch.I...
- 要旨訳伝承として記録伝承
伝承: 無意識を意識化しない限り、それは我々の人生を方向づけ、そして我々はそれを運命と呼ぶだろう
つながり
- ニーチェ
先駆 — ディオニュソスと超人のイメージが元型論・個性化の原型、『ツァラトゥストラ』講義は10年に及ぶ
- ジークムント・フロイト
批判的継承 — 1907-1913年の「父と子」協働、リビドーの性欲一元論をめぐる決裂、集合的無意識へ
- 西田幾多郎
同時代 — 鈴木大拙を介した20世紀前半の東西思想交流、禅・曼荼羅への関心と絶対無の形而上学が場を共有(直接の影響関係は未確認)
- ゴータマ・シッダールタ
共鳴 — 仏陀を元型(Selbst)の象徴として読み、無我の教説と集合的無意識の全体性との対話的読解
さらに読むならFurther Reading
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生きた跡を辿るPlaces
カール・グスタフ・ユングが歩いた街・記された碑・思索が残る館。 机から抜け出して一度、場所の側から哲学に触れてみる。
- ユング博物館(ボーリンゲンの塔 ではなくキュスナハトの家)住居
キュスナハト, スイス
ユングが生涯の大半を過ごした邸宅、保存されて公開
さらに辿るならExternal References
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WikipediaWikipedia 日本語版「カール・ユング」項
WikipediaEnglishWikipedia English — "Carl Jung"
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