ウルストンクラフト
女性の徳とは男性への従属のことではなく、 男性と同じ理性の行使ではないのか?
『女性の権利の擁護』で女性の教育と理性を論じた、近代フェミニズムの出発点
- 女性の権利の擁護
- 教育
- 理性
時代の空気
18世紀後半のロンドンは産業革命と植民地交易で富を集める一方、女性の高等教育や政治参加は閉ざされ、長子相続が娘たちから資産を奪っていた。1789年のフランス革命勃発に急進派知識人は熱狂し、バーク『フランス革命の省察』(1790)を巡る論戦が燃え上がる。ジョセフ・ジョンソンの書店にはブレイク・プリーストリー・フュースリーらディセンター系の知識人が集い、ウルストンクラフトはここを足場に書評と翻訳で生計を立てた。革命下のパリでは恐怖政治が進行していた。
01凋落する家庭、逃げ出した長女
1759年4月27日、ロンドン東部スピタルフィールズの毛織物商人の家庭に、メアリー・ウルストンクラフトは生まれた。祖父は成功した毛織物商で、父エドワードは相続によりロンドン郊外に農地を取得、いちどはジェントリの仲間入りを目指した。しかし父は投資に失敗を重ね、家族はイギリス各地を転々とする凋落の道をたどる。ビバリー、ホックストン、ラフハム、ウェールズ――幼いメアリーは7度の転居を経験した。
父は酒癖が悪く、母ともメアリーとも衝突した。暴行を止めようと、夜な夜な母の寝室の扉の前に横たわる少女の姿が、後年の伝記で繰り返し描かれる情景となる。兄エドワードは長男として相続権と教育費を独占し、妹たちにはほとんど教育が与えられなかった。メアリーは独学で古典・詩・歴史を読み、ユニテリアン派の家庭教師ジェーン・アーデンとファニー・ブラッドという二人の友人の家で、書物への道を見出した。
19歳(1778年)、メアリーは家を出た。婦人の話し相手(レディース・コンパニオン)、家庭教師、寄宿学校運営――当時の教育を受けた女性に開かれていた数少ない職業を渡り歩いた。1784年、友人ファニー・ブラッドとともにロンドン北部で寄宿学校を開設、ディセンター(非国教徒)の知識人コミュニティと交流した。リチャード・プライス牧師(後にバーク『』の論戦相手となる)を師として仰いだ。
02ジョセフ・ジョンソンの店、そして『娘たちの教育についての思索』
1785年、ファニー・ブラッドがリスボンで難産と結核で死去。メアリーは看取りに駆けつけたが間に合わず、大きな喪失を抱えた。1787年、アイルランドの貴族キングスバラ一家の家庭教師として雇われるが、夫人との軋轢で1年で解雇された。
同1787年、28歳のメアリーはロンドンの急進派出版人ジョセフ・ジョンソンの店を拠点に、執筆で生計を立てることを決意した。ジョンソンの書店は、詩人ウィリアム・ブレイク、化学者ジョゼフ・プリーストリー、画家ヘンリー・フュースリー、詩人ウィリアム・コウパーらが集まる、当時ロンドン屈指の急進的知識人サロンだった。
最初の著作『』(1787)で、メアリーは自分の家庭教師経験を踏まえ、女性教育は従属的な「マナー」ではなく理性と自律の訓練であるべきだと論じた。翌1788年、小説『メアリー』(自伝的半小説)、児童向け物語集『実生活からの原話』を発表。ジョンソンの月刊誌『アナリティカル・レビュー』で書評家として活躍、フランス語・ドイツ語・イタリア語の翻訳もこなした。
03バーク vs. ウルストンクラフト――『人間の権利の擁護』
1789年7月、フランス革命勃発。ロンドンの急進派知識人たちは熱狂し、プライス牧師は「フランスの新しい政治的自由を祝福する」説教を行った。これに対し、エドマンド・バークは1790年11月、『フランス革命の省察』を刊行し、革命を攻撃、プライスをも批判した。
メアリーは即座に反論に取りかかり、わずか28日で『』(A Vindication of the Rights of Men、1790年12月)を書き上げた。バーク『省察』への最初の公的反論の一つであり、初版は匿名だったが、第二版で著者名を明かした――急進的論戦への女性著者の公然参入は、当時の論壇で衝撃をもって受け止められた。トマス・ペイン『人間の権利』(1791)に先立つ反論だったことは、しばしば忘却されがちだが、メアリーの筆がどれほど早かったかを物語る。
女性の精神を強化せよ、そうすれば盲目的服従も息絶えるだろう。
04『女性の権利の擁護』――1792
1792年1月、メアリーは『』(A Vindication of the Rights of Woman)を刊行した。32歳。
ルソー『エミール』の第五巻(女性教育論ソフィ)を主たる論敵に据え、「男性の快のために作られた存在」という女性観を徹底して批判した。核心の論証はこうだ――徳は理性に根ざす。理性は訓練によって伸びる。女性に理性の訓練を与えず、同時に「徳高くあれ」と命じるのは論理的矛盾である。したがって女性の教育改革こそが、女性の徳と自由の前提条件である。
書物は具体的な提案を伴った――男女共学(当時としては急進的)、体育・科学・政治を含むカリキュラム、良妻賢母モデルからの離脱、経済的自立の道、政治参加の将来的承認。「女性を合理的な伴侶にせよ、愛玩動物ではなく」。この命題は19世紀を通じてフェミニズム思想の基底となった。
同書は刊行後、広く読まれると同時に激しく嘲笑された。政治評論家ホレス・ウォルポールはメアリーを「ペチコートを履いたハイエナ」と呼んだ。しかしジャーナリストの間では賛否両論の議論を呼び、メアリーは一躍、当時のイギリス論壇で最も有名な女性論客となった。
05フランス革命期パリ、そしてギルバート・イムレイ
1792年12月、33歳のメアリーは単身パリに渡った。革命進行中のパリで、ジロンド派のサロンに出入りしつつ、『フランス革命の起源と進展についての歴史的・道徳的見解』(1794)を書き進めた。
パリで彼女はアメリカ人実業家ギルバート・イムレイと恋愛関係に陥った。結婚はしなかったが、イムレイは「妻」として彼女をアメリカ大使館に登録し、英国人として危険になった彼女を保護した。1794年、長女ファニー・イムレイを出産。
しかしイムレイは浮気を重ね、メアリーを捨てた。1795年と1796年、メアリーは二度の自殺未遂を経験した。第一回は阿片、第二回はテムズ川への投身(通行人に救助された)。女性の自由を論じた知識人が、恋人の裏切りに絶望して自らの命を絶とうとする――この矛盾は後世の批評家たちにも重くのしかかる伝記的事実となった。
1795–1796年、イムレイの事業のためにスカンジナビアへ単身旅行し、帰国後に『スウェーデン、ノルウェー、デンマーク短期滞在中の書簡』(1796)を刊行、これは叙情的旅行記としてコウルリッジ、ワーズワースらロマン派詩人に影響を与えた。
06ゴドウィンとの結婚、そして産褥死
ロンドンに帰還したメアリーは、ジョンソンの店でと再会した。急進的アナーキスト哲学者、『政治的正義』(1793)の著者。二人は最初は互いを論敵と見ていたが、急速に接近した。
メアリーは結婚を論理的には批判していたが、生まれる子の嫡出性を守るため、1797年3月に秘かに結婚。メアリーの以前の「イムレイ夫人」は虚構だったことが公になり、スキャンダルとなった。
1797年8月30日、次女メアリー(後のメアリー・シェリー、『フランケンシュタイン』著者)を出産。胎盤が完全に排出されず、医師が手作業で除去を試みたが、感染症(産褥熱)が発症した。1797年9月10日、メアリー・ウルストンクラフトは死去、38歳。
翌1798年、ゴドウィンは深い愛から『「女性の権利の擁護」著者回想録』を出版、メアリーの自殺未遂と婚外交渉とイムレイとの関係を率直に記した。これが災いし、19世紀の大半のイギリス社会はメアリーを「堕落した女」として忘却した。1850年代以降、ジョージ・エリオットらがその著作を再評価し始め、19世紀末から20世紀にかけ、フェミニズム思想の出発点として再復権した。
07主要な出来事と残した思索の輪郭
- 4月27日、ロンドン・スピタルフィールズに誕生
- 19歳、家を出てレディース・コンパニオンに
- ニューイントン・グリーンで寄宿学校運営、プライス牧師に師事
- 『娘たちの教育についての思索』、ジョンソンの店を拠点に執筆生活開始
- 『人間の権利の擁護』、バーク『省察』への反論(28日で執筆)
- 『女性の権利の擁護』刊行、パリに渡る
- 長女ファニー・イムレイを出産
- 二度の自殺未遂、スカンジナビア旅行
- 3月、ウィリアム・ゴドウィンと結婚
- 8月30日、次女メアリー(後のシェリー)を出産
- 9月10日、産褥熱により死去、38歳
- ゴドウィン『回想録』刊行、スキャンダル化で半世紀の忘却
残した思索の輪郭
- 徳は訓練された理性の所産 ― 性別に関わらず、教育なしに徳なし
- 男女共学・科学・政治を含む教育改革 ― 18世紀末としては急進的なカリキュラム論
- 「合理的伴侶」としての妻 ― 愛玩動物モデルの批判、夫婦関係の対等化
- 論壇への女性の公然参入 ― バーク反論を足場に英国ジャーナリズムへの闖入
- 思想と生涯の矛盾の引き受け ― 自殺未遂と啓蒙哲学の共存、後世の批評家が向き合う難題
出典と確認メモ
7件- 文脈二次資料で確認済み要旨訳
要旨訳: 翌1798年、ゴドウィンは深い愛から『「女性の権利の擁護」著者回想録』を出版、メアリーの自殺未遂と婚外交渉とイムレイとの関係を率直に記した。これが災いし、19世紀の大半のイギリス社会はメアリーを「堕落...
一次資料を開くProject Gutenberg eBook #16199。Godwin 自身による 1798 年回想録の本文。Imlay との関係 (Ch. 6-8) 、自...
- 文脈二次資料で確認済み要旨訳
要旨訳: 1792年、フランス革命の熱気のなか、タレーランが提出した公教育案が女子に初等教育しか与えないのを見て、メアリ・ウルストンクラフトが六週間で書き上げた『女性の権利の擁護』の序文の一節である。ルソー『エ...
一次資料を開くProject Gutenberg canonical 公開テキスト。1792 年初版 (London: J. Johnson)。Dedication (Tal...
- 抜粋一次資料で確認済み原典確認済み
原典確認済み: 女性の精神を強化せよ、そうすれば盲目的服従も息絶えるだろう。
一次資料を開くChapter 2 'The Prevailing Opinion of a Sexual Character Discussed': 「Strengthen ...
- 抜粋一次資料で確認済み原典確認済み
原典確認済み: 女性の精神を強化せよ、そうすれば盲目的服従も息絶えるだろう
一次資料を開くProject Gutenberg eBook #3420 Chapter 2 「The Prevailing Opinion of a Sexual Char...
- 出典一次資料で確認済み原典確認済み
原典確認済み: wollstonecraft.mdx pullsource '『女性の権利の擁護』序文' は Wollstonecraft, A Vindication of the Rights of Woman ...
一次資料を開くChapter 2 'The Prevailing Opinion of a Sexual Character Discussed': 「Strengthen ...
- 出典一次資料で確認済み原典確認済み
原典確認済み: wollstonecraft.mdx pullsource 「『女性の権利の擁護』第二章」 は Wollstonecraft, A Vindication of the Rights of Woman...
一次資料を開くChapter 2 'The Prevailing Opinion of a Sexual Character Discussed': 「Strengthen ...
- 引用一次資料で確認済み原典確認済み
原典確認済み: 徳に性別があってはならない。理性は性別に応じて異なるものではないからだ
一次資料を開くChapter 2: 「If women are by nature inferior to men, their virtues must be the sa...
つながり
- クリスティーヌ・ド・ピザン
先駆 — 女性擁護論の最初の体系、『女の都』から『女性の権利の擁護』へ
- ルソー
批判的継承 — 『エミール』の女性教育論への激しい反論として『女性の権利の擁護』
- ジョン・スチュアート・ミル
先駆 — 自由主義フェミニズムの土台、『女性の解放』への19世紀的継承
- ジェーン・オースティン
同時代 — ウルストンクラフト『女性の権利の擁護』(1792)とオースティンの作家活動期(1795頃-1817)は世代として連続するが、オースティンは自身の書簡や小説でウルストンクラフトを直接引用していない。ただし『マンスフィールド・パーク』(1814)のメアリー・クロフォード批判や『説得』(1818)のアン・エリオットの自立志向は、ウルストンクラフトが提起した女性教育・経済的独立の論題と暗黙に共鳴する。直接継承ではなく摂政期英国の女性思考の同時代的並走として位置づける
- ヴァージニア・ウルフ
先駆 — ウルフ『自分ひとりの部屋』(1929)第3章でウルストンクラフト『女性の権利の擁護』(1792)を「女性教育論の最初の重要な書」として位置づけ、年500ポンドと自分の部屋という独立論の出発点に置いた。ウルフは『普通の読者』第二集(1932)所収「メアリ・ウルストンクラフト」でも生涯と思想を素描し、フェミニズムの近代的言語の創始者として明示的に系譜化している
さらに読むならFurther Reading
ウルストンクラフトの思索に近づく、手に取って損のない版を三冊まで。 岩波・ちくま・講談社学術文庫を基本に、原著または定評ある英訳を一冊添えています。
入門女性の権利の擁護
メアリ・ウルストンクラフト / 訳: 白井堯子 / 未來社
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生きた跡を辿るPlaces
ウルストンクラフトが歩いた街・記された碑・思索が残る館。 机から抜け出して一度、場所の側から哲学に触れてみる。
- ニューイントン・グリーン教会ゆかり
ロンドン, イギリス
ウルストンクラフトが交流した非国教会の拠点。近年「女性の母」と刻む記念像が近隣に建立
- セント・パンクラス旧教会墓地墓所
ロンドン, イギリス
ウルストンクラフトがかつて葬られた場所。遺骸は後にボーンマスの娘の墓へ改葬
地図で見る →確認 2026-04-19
さらに辿るならExternal References
ウルストンクラフトを別の角度から辿るための外部リンクを並べています。 百科事典・原典アーカイヴ・記念館など、出典はそれぞれ性格が異なります。 リンク先のアクセス条件(閲覧のみ可、要登録、借覧制限など)は サイト側の表記を参照してください。
WikipediaWikipedia 日本語版「メアリ・ウルストンクラフト」項
WikipediaEnglishWikipedia English — "Mary Wollstonecraft"
Stanford Encyclopedia of PhilosophyEnglishStanford Encyclopedia of Philosophy — "Mary Wollstonecraft"
Project GutenbergEnglishA Vindication of the Rights of Woman(1792)— Project Gutenberg
『女性の権利の擁護』原著
Project GutenbergEnglishA Vindication of the Rights of Men(1790)— Project Gutenberg
『人間の権利の擁護』原著
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