ヴァージニア・ウルフ
女が書くためには、 どれだけの独立が必要か?
意識の流れで内面を書き、女性の独立を「部屋と年500ポンド」に定義したモダニズム作家
- 意識の流れ
- 自分だけの部屋
- モダニズム
時代の空気
エドワード朝からジョージ五世、二つの大戦をはさむロンドンを生きた。父レズリー・スティーヴンは『英国人名事典』初代編集主幹を務めるヴィクトリア朝後半の文人で、サロンには文壇の重鎮が出入りした。女性は大学の正規学位や多くの職業から閉め出され、図書館にも自由に入れない。女性参政権は1918年に三十歳以上、1928年に成人全員へと段階的に開かれていく。ブルームズベリー界隈で同時代のジョイス、エリオット、マンスフィールドと響き合いながら、1936年のスペイン内戦、甥ジュリアン・ベルの戦死、1940年の空襲を経て第二次大戦下のサセックスへ移る。
01ハイド・パーク・ゲイトの文人家庭
1882年1月25日、ロンドン・ケンジントンのハイド・パーク・ゲイト22番地で、アデライン・ヴァージニア・スティーヴンが生まれた。父レズリー・スティーヴン卿は著名な評論家・評伝家で、『英国人名事典(Dictionary of National Biography)』の初代編集主幹。母ジュリアは旧姓ダックワースで、若い頃はバーン=ジョーンズやラファエル前派の写真モデルを務め、看護に通じた人だった。
両親ともに再婚で、家族は複雑な構成だった。ヴァージニアには姉ヴァネッサ(後に画家ヴァネッサ・ベル)、兄ソビー、弟エイドリアン、それに母の前夫の子である異父兄ジョージ、ジェラルド、姉ステラ、そして父の前妻の娘ローラがいた。家には常に父の文人友たち――ヘンリー・ジェイムズ、メレディス、ハーディ――が出入りする、規範的なヴィクトリア朝の文芸環境だった。
1895年、13歳のヴァージニアはリウマチ熱で母ジュリアを急逝で失う(49歳)。これが最初の精神的破綻を引き起こした。1897年には異父姉ステラも世を去る。後年ヴァージニアは、姉ヴァネッサとともに異父兄ジェラルドおよびジョージから少女期に性的虐待を受けた事実を、晩年の自伝草稿(Sketch of the Past, 1939)に抑えた筆致で書き残している。1904年に父レズリーが死去すると、二度目の深刻な精神的破綻に陥り、屋根から飛び降りる行為に及んだ。
02ブルームズベリー、そして結婚
父の死後、スティーヴン姉妹と兄弟は、保守的なケンジントンを離れブルームズベリー地区(ロンドン中心部のゴードン・スクエア46番地)に移った。兄ソビーがケンブリッジから連れてきた友人たちが集まり始め、後にと呼ばれる知的サークルが形成される――リットン・ストレイチー、ジョン・メイナード・ケインズ、E・M・フォースター、画家ヴァネッサ・ベル、クライヴ・ベル、美術批評家ロジャー・フライ。自由な議論、性的慣習の刷新、芸術と経済と哲学の横断。1905年には文芸誌『コーンヒル・マガジン』に最初の寄稿を始め、職業的な書き手としての歩みが始まった。
1906年、ギリシャ旅行中に兄ソビーが腸チフスで死去(26歳)。打撃は大きかった。1907年、姉ヴァネッサがクライヴ・ベルと結婚し家を出たことで、ヴァージニアは弟エイドリアンと別居に移った。
1912年8月、ヴァージニアはレナード・ウルフと結婚した。ケンブリッジ時代の兄ソビーの友人で、セイロン(現スリランカ)の植民地行政官を辞めて帰国したばかりの青年。レナードは生涯にわたり彼女の仕事と病いを支え続け、二人は協働の伴走関係を築いた。
1913年、ヴァージニアは三度目の深刻な精神的崩壊を起こし、処方された薬(ベロナール)を大量に服用した。長期入院を経て、ゆっくりと回復していく。
03ホガース・プレス、小説家への道
1915年、第一作『船出』(The Voyage Out)刊行。33歳。1917年、夫妻は自宅リッチモンドのホガース・ハウスに小型印刷機を据え、を創業した。最初は手で組んで刷る自家出版。やがてT・S・エリオット『荒地』(1923)、フロイト全集英訳、E・M・フォースター、キャサリン・マンスフィールド、そして自作のすべてを世に出す独立系出版社として定着する。同時代のジョイスは『ユリシーズ』の刊行をホガースに打診したが、設備の小ささから引き受けられなかった――この時代の作家たちと出版者として向き合う場でもあった。印刷は彼女にとって「手でやる仕事」として、精神の均衡装置でもあった。
1920年代、ウルフは自分の文体を確立していく。『ジェイコブの部屋』(1922)は、戦没した兄を描く代わりに描けない不在を書いた実験作。(1925)――1923年6月のロンドンの一日、政治家の妻クラリッサ・ダロウェイが開くパーティまでの時間と、第一次大戦の戦争神経症を患う帰還兵セプティマス・ウォレン・スミスの自死が交錯する。(stream of consciousness)――ウィリアム・ジェイムズの心理学用語を文学手法に変換した金字塔。
(1927)は、ヘブリディーズ諸島の夏の別荘を舞台に、画家リリー・ブリスコウがラムジー夫人(=母ジュリアの肖像)を絵に描こうとする。第二部「時は流れる」でラムジー夫人の死と戦争の歳月が抽象的な時間として通過する。ウルフは父母への長年の応答をこの小説で果たした、と回顧している。
1928年のは、貴族の女性詩人ヴィタ・サックヴィル=ウェストとの数年にわたる親密な恋愛を、性別の境を越えて生きる主人公の四百年の伝記として書きあげたもの――息子ナイジェルが後年「文学史上もっとも長く美しいラブレター」と呼んだ作品である。
小説を書こうとするなら、女性は金と自分だけの部屋を持たなければならない。
04『自分ひとりの部屋』――女性と文学
1928年10月、ケンブリッジ大学ニューナム・カレッジとガートン・カレッジ(女子カレッジ)で「女性と小説」と題した二つの講演を行った。翌年これを発展させた長篇エッセイ(A Room of One's Own, 1929)が刊行された。
「女性が小説を書こうとするなら、年500ポンドと自分だけの部屋を持たねばならない」。中心命題は経済的独立の要求だった。歴史の中で女性が書物を残せなかったのは、才能の欠如ではなく、台所と家政と出産に縛られ、自分の書斎を持たなかったからだ――そのうえで彼女は、男性研究者は自由に入れる大学図書館に女性は紹介状なしには入れないという、その日の実感をエッセイの導入に書きとめている。ウルフは架空の「シェイクスピアの妹ジュディス」を描き、同じ天才であっても、妹は男性作家と同じ道を歩めないと示してみせる。
同書は現代フェミニズム批評の古典となる。1938年の続編(Three Guineas)では、ファシズムと父権制的家父長制との連関を論じ、戦争体制と女性抑圧を同根のものとして告発した。
小説家としては、(1931、六人の内的独白で編まれる長篇詩的小説)、『歳月』(1937)、没後刊の『幕間』(1941)と、実験的な形式を重ねていった。
05ウーズ川――1941
1930年代、ヨーロッパにファシズムの影が伸びていく。ウルフ夫妻はともに反戦・反ファシズムの立場を明確にし、レナードは労働党の政策顧問を務めた(レナード自身もユダヤ人で、ナチスの迫害が強まるなかで身に迫る危険を感じていた)。1937年7月、姉ヴァネッサの長男ジュリアン・ベルがスペイン内戦で衛生兵として従軍中、共和派の側で戦死する(29歳)。甥を失った姉への手紙と、戦争を生む文化への怒りが、翌年の『三ギニー』の核に流れ込んだ。
1940年9月、ブルームズベリーの自宅と、ロンドン郊外の家がドイツ軍の空襲で大破する。戦時下のサセックスの家モンクス・ハウス(ロドメル村)で、ウルフは最終作『幕間』を書き上げた。しかし慢性的な精神疾患の再発の影は濃かった。同時代の伝記作者は彼女を双極性障害の現代的診断に当てはめている。
1941年3月28日の朝、ウルフは自宅モンクス・ハウスを出て、近くのウーズ川に歩いて入った。残された二通の遺書(一通は夫レナード、もう一通は姉ヴァネッサ宛)には、再び狂気が来ることへの恐れ、レナードへの最大の感謝、これ以上あなたの人生を奪えないという告白が綴られていた。
「あなたがくれたほどの幸せを、私は誰にも与えることができませんでした」(レナード宛)。
遺体はおよそ三週間後にウーズ川で発見された。59歳。コートのポケットには石が詰められていた。入水の場所はモンクス・ハウスから歩いて十数分の岸辺だった。遺灰はモンクス・ハウスの庭の楡の木の下に埋められた。
06主要な出来事と著作
- ロンドン・ハイド・パーク・ゲイトに誕生。父は批評家レズリー・スティーヴン
- 母ジュリア急逝、最初の精神的破綻
- 父レズリー死去、二度目の破綻
- 『コーンヒル・マガジン』に寄稿開始、ブルームズベリーへ移住
- ブルームズベリー・グループ形成、兄ソビー死去
- レナード・ウルフと結婚
- 三度目の精神的崩壊、ベロナール大量服用
- 第一作『船出』刊行
- ホガース・プレス創業
- 『ジェイコブの部屋』刊行
- 『ダロウェイ夫人』刊行
- 『灯台へ』刊行
- 『オーランドー』刊行(ヴィタ・サックヴィル=ウェストへ捧ぐ)
- 『自分ひとりの部屋』刊行
- 『波』刊行
- 甥ジュリアン・ベル、スペイン内戦で戦死
- 『三ギニー』刊行
- ロンドンの自宅が空襲で被災
- 3月28日、ウーズ川で入水自殺、59歳。『幕間』没後刊
残した思想の輪郭
- 意識の流れ ― 外的出来事ではなく、内面の非連続な流れを小説の主題に据える技法
- 『自分ひとりの部屋』 ― 女性の創作には経済的独立と私的空間が必要だという論
- ブルームズベリー・グループ ― 芸術・経済・哲学・性を横断する20世紀前半の知的共同体
- 時間の叙述 ― 『灯台へ』の「時は流れる」に代表される、時間の抽象化された描写
- ファシズムと家父長制 ― 『三ギニー』で両者を同根の暴力として告発した戦間期の視座
出典と確認メモ
6件- 文脈二次資料で確認済み研究上論争あり
研究上論争あり: 1928年、ケンブリッジの女子カレッジで行った二度の講演「女性と小説」を翌1929年に書き直して刊行した『自分だけの部屋』の核にある定式である。ウルフは才能や勇気を先に問う問い方を退け、年五百ポンドの...
- 引用一次資料で確認済み原典確認済み
原典確認済み: ダロウェイ夫人は、花は自分で買いに行くと言った
一次資料を開くOpening sentence (Ch. 1 第 1 文): 「Mrs. Dalloway said she would buy the flowers he...
- 抜粋一次資料で確認済み原典確認済み
原典確認済み: 小説を書こうとするなら、女性は金と自分だけの部屋を持たなければならない。
一次資料を開くChapter 1 opening thesis: 「a woman must have money and a room of her own if she ...
- 抜粋一次資料で確認済み原典確認済み
原典確認済み: 小説を書こうとするなら、女性は金と自分だけの部屋を持たなければならない
一次資料を開くChapter 1 opening thesis: 「a woman must have money and a room of her own if she ...
- 出典一次資料で確認済み原典確認済み
原典確認済み: woolf.mdx pullsource '『自分ひとりの部屋』(1929)' は Virginia Woolf, A Room of One's Own (London: Hogarth Press...
一次資料を開く1929 年 Hogarth Press 初版 digitization。philoglyph pullsource '(1929)' canonical 確認...
- 出典一次資料で確認済み原典確認済み
原典確認済み: src/data/quotes.ts woolf-1.source の出典表記「『自分だけの部屋』(1929)」は Virginia Woolf, A Room of One's Own (Londo...
一次資料を開く1929 年 Hogarth Press 初版 digitization。quotes.ts 「『自分だけの部屋』(1929)」 canonical 確認 (W...
つながり
- ジェーン・オースティン
継承 — ウルフ『自分ひとりの部屋』(1929)第4章でオースティンを「妨げのない手で書いた最初の女性作家」と評価し、自由間接話法の達成を意識の流れの先駆として論じた。『普通の読者』(1925)所収の「ジェイン・オースティン」論でも、客間の沈黙のなかに社会の総体を写し取る技法を自身のモダニズム手法の系譜上に置く。直接的な文体継承ではないが、女性作家史と内面描写の方法論の双方で系譜を引き取った
- ウルストンクラフト
先駆 — ウルフ『自分ひとりの部屋』(1929)第3章でウルストンクラフト『女性の権利の擁護』(1792)を「女性教育論の最初の重要な書」として位置づけ、年500ポンドと自分の部屋という独立論の出発点に置いた。ウルフは『普通の読者』第二集(1932)所収「メアリ・ウルストンクラフト」でも生涯と思想を素描し、フェミニズムの近代的言語の創始者として明示的に系譜化している
- ジークムント・フロイト
同時代 — 1924年ウルフ夫妻のホガース・プレスがフロイト英訳全集(ストレイチー編、24巻、1953完結)の刊行を引き受け、ヴァージニア・ウルフ自身は1939年1月29日ロンドンのフロイト宅を訪問し水仙を贈った(ウルフ日記、1939-01-29)。直接の理論的影響は限定的だが、無意識・夢・性をめぐる言語をモダニズム文学に流入させた英語圏の媒介としてホガース・プレスが決定的な役割を果たした
さらに読むならFurther Reading
ヴァージニア・ウルフの思索に近づく、手に取って損のない版を三冊まで。 岩波・ちくま・講談社学術文庫を基本に、原著または定評ある英訳を一冊添えています。
入門ダロウェイ夫人
ヴァージニア・ウルフ / 訳: 土屋政雄 / 光文社古典新訳文庫
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ヴァージニア・ウルフ / 訳: 川本静子 / みすず書房
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生きた跡を辿るPlaces
ヴァージニア・ウルフが歩いた街・記された碑・思索が残る館。 机から抜け出して一度、場所の側から哲学に触れてみる。
さらに辿るならExternal References
ヴァージニア・ウルフを別の角度から辿るための外部リンクを並べています。 百科事典・原典アーカイヴ・記念館など、出典はそれぞれ性格が異なります。 リンク先のアクセス条件(閲覧のみ可、要登録、借覧制限など)は サイト側の表記を参照してください。
WikipediaWikipedia 日本語版「ヴァージニア・ウルフ」項
WikipediaEnglishWikipedia English — "Virginia Woolf"
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