デューイ
経験と思考は、 どこで出会うのか?
経験と探究を軸に、民主主義と教育を哲学の中心に据えたアメリカ・プラグマティズムの巨匠
- プラグマティズム
- 経験と教育
- 民主主義
時代の空気
南北戦争後のアメリカは産業化と都市化で急速に変容していた。デューイが育ったヴァーモント州バーリントンはニューイングランドの議会民主主義と公理会派の信仰心が残る雪深い地。シカゴ大学着任(1894)の中西部はジェイン・アダムズのハル・ハウスや進歩主義教育運動の只中で、実験学校はその文脈に立った。1916-30年代のコロンビア時代は二度の世界大戦・大恐慌・赤狩りに重なり、1919年訪中では到着直後の五四運動が彼を北京大学に2年以上留めた。1928年ソ連視察ではスターリン体制への幻滅が深まった。
01ヴァーモントの食料雑貨商の息子
1859年10月20日、ヴァーモント州バーリントン(Burlington)に生まれた。父アーチボルドは食料雑貨商で、南北戦争中は北軍に入り騎兵連隊に従軍した。母ルシーナは信仰心篤い公理会派の主婦で、息子に宗教的勤勉さを深く刻んだ。兄弟は四人で、生き残ったのはジョンを含め三人。チャンプレーン湖畔の州最大都市で、雪深い冬と、議会民主主義の息づくニューイングランドの気風の中で育った(州都はモントピリア)。
地元の公立学校からヴァーモント大学へ進み、1879年に卒業した。在学中、H・A・P・トーリーに哲学の手ほどきを受け、卒業後は1879-81年にペンシルベニア州オイルシティ高校、1881-82年にヴァーモント州シャーロットのレイクビュー・セミナリーで教師を勤めた。このささやかな教職経験が、のちに「教育こそが哲学の実験室である」という確信の原風景になる。
02ジョンズ・ホプキンズでヘーゲルと出会う
1882年、新設まもないジョンズ・ホプキンズ大学大学院に入学した。ドイツ式の研究大学という新しいモデルのもとで、デューイはG・S・モリス(ヘーゲル派)、チャールズ・サンダース・パース(記号論・論理学)、G・スタンレー・ホール(実験心理学)の三人から決定的な影響を受けた。
なかでもモリスから学んだヘーゲル哲学は、彼の思考の構造に深く食い入った。精神と物質、主観と客観、個と社会を分断せずに動的に捉える弁証法は、生涯デューイの書き方の底流になる。1884年、「カントの心理学」で博士号を取得した。25歳。すぐにミシガン大学の哲学講師に着任した。
03ミシガン大学、家族、心理学からの転回
ミシガン大学時代(1884–88、1889–94、間の1888–89年はミネソタ大学へ一時移籍)、デューイは学生だったアリス・チップマンと1886年に結婚した。アリスは独立心の強い女性で、のちにシカゴの実験学校で校長を務めることになる。二人は六人の子を授かったが、一人の息子モリスを欧州旅行中にジフテリアで失う。この喪失は夫妻の人生に長い影を落とした。
学問的には、最初の著書『心理学』(1887)を出した後、デューイは静かにヘーゲル的観念論を離れつつあった。ウィリアム・ジェイムズの『心理学原理』(1890)を読み、精神を実体ではなく機能、適応の過程として捉える視点に強く惹かれた。ダーウィニズムと実験心理学の結合、そこからプラグマティズムへの転回が始まった。
04シカゴ大学と実験学校
1894年、新設のシカゴ大学が哲学・心理学・教育学部門の主任教授としてデューイを招いた。35歳。アメリカ中西部の都市的活気のただなかで、彼の思想は教育の実践へと急速に開いていった。
1896年、シカゴ大学付属の実験学校(Laboratory School、通称「デューイ・スクール」)が開校した。アリスは学校の創設と運営に深く関わり、1901年には校長(principal)を務めた。ジョンが理論的指導を行なった。子どもたちは料理、織物、大工仕事、庭仕事、印刷といった具体的な作業から出発し、そこから読み書き・算数・科学・歴史へと拡がっていった。知識は外から詰め込まれるものではなく、問題状況のなかで子ども自身が探究として経験する ― この発想が『学校と社会』(1899)、『子どもとカリキュラム』(1902)に結晶した。
しかし1904年、アリスの校長職をめぐって大学本部と衝突し、デューイはシカゴ大学を辞任した。10年の大冒険の終わりだった。
05コロンビア大学、半世紀の主軸
1904年秋、コロンビア大学哲学部に移った。以後1930年の定年まで26年、名誉教授としてさらに22年、彼はニューヨークに拠点を置き続ける。ここで彼の著作は次々と世に出た。
- (1916) ― 教育哲学の金字塔
- 『人間性と行為』(1922) ― 習慣・衝動・知性の倫理学
- 『経験と自然』(1925) ― 形而上学
- 『公衆とその諸問題』(1927) ― 民主主義論
- 『確実性の探求』(1929) ― ギフォード講演
- 『経験としての芸術』(1934) ― 美学
- (1938) ― 探究の論理学
- (1938) ― 進歩主義教育の自己批判を含む晩年の教育論
中核概念は経験と探究である。経験は受動的な印象の蓄積ではなく、環境との相互作用のなかで生じる問題状況への能動的な応答である。探究は、不確定な状況を確定した状況へ変換する、共同体的で仮説検証的な営みだ。真理は「対応」ではなく、探究のなかで確証された保証された主張可能性(warranted assertibility)である。
民主主義とは、政府の形式である以前に、共生された経験のあり方である。
06公共知識人としての半世紀
デューイは書斎の哲学者ではなかった。彼は公共の場で語り続けた。ニューヨークのニュー・リパブリック誌に毎月のように政治論説を寄せ、女性参政権、労働組合、平和運動、市民的自由を支持した。アメリカ大学教授協会(AAUP, 1915)の初代会長、全米教員組合(AFT)の結党メンバー、全米黒人地位向上協会(NAACP)の初期メンバーの一人でもあった。
1919年には日本と中国を講演旅行し、東京帝国大学での連続講演を行なった。4月30日に上海に着いたわずか数日後、五四運動の学生デモが街に広がり、彼は予定を大きく変えて2年以上滞在した。北京大学に招かれ、胡適・蒋夢麟・陶行知ら中国人の弟子たちの通訳で計200回近くの講演を行ない、聴衆に「米国の孔子」と呼ばれた。1928年にはソ連を訪問し教育視察を行なった。当初はソ連の教育実験に好意的だったが、1930年代にかけてスターリン体制への幻滅を深めていった。1937年、メキシコでレフ・トロツキーの反革命罪告発を審査する国際独立調査委員会の委員長を務め、モスクワ裁判の虚構性を公的に指摘した。
07晩年、87歳での再婚、92歳で死す
妻アリスは1927年に亡くなった。長い共働の終わりだった。1946年、87歳のデューイはロベルタ・グラントと再婚した。42歳年下の彼女とともに、孤児となった兄弟姉妹二人を養子に迎え、晩年の家族を得た。90歳を越えても執筆と論争を続けた。
1952年6月1日、ニューヨーク市の自宅で肺炎のため息を引き取った。92歳。遺骨は生地ヴァーモント州バーリントンのヴァーモント大学構内、アイラ・アレン・チャペル脇の記念碑に納められた。碑文には彼の『共通の信仰(A Common Faith)』からの一節が刻まれている。
08主要な出来事と著作
- ヴァーモント州バーリントンの食料雑貨商の家に誕生
- ヴァーモント大学卒業。田舎学校で教師を勤める
- ジョンズ・ホプキンズ大学で博士号取得、ミシガン大学講師に
- アリス・チップマンと結婚
- シカゴ大学に招聘、哲学・心理学・教育学部門の主任教授
- シカゴ大学付属実験学校(デューイ・スクール)開校
- 『学校と社会』刊行
- シカゴ大学を辞任、コロンビア大学に移る
- 『民主主義と教育』刊行
- 日本・中国講演旅行、東大で『哲学の改造』連続講演
- 『経験と自然』刊行
- エディンバラでギフォード講演、1929年に『確実性の探求』として刊行
- メキシコでデューイ委員会委員長、トロツキー裁判の虚構性を公表
- 『論理学 ― 探究の理論』『経験と教育』刊行
- 87歳でロベルタ・グラントと再婚
- 6月1日、ニューヨークで肺炎のため死去。享年92
残した思想の輪郭
- 経験 ― 受動的印象の集積ではなく、環境との相互作用としての能動的・連続的な過程
- 探究(inquiry) ― 不確定な状況を確定した状況へ変換する仮説検証的で共同的な営み
- 工具主義 ― 概念・理論は現実を映す鏡ではなく、問題解決のための道具である
- 民主主義 ― 政府の形式である以前に、多様な人々が経験を共有し修正し合う生き方
- 教育 ― 訓練や詰め込みではなく、生徒自身が問題状況を通じて成長する探究の過程
- 経験としての芸術 ― 美は日常経験が完成された秩序と意味を獲得した瞬間に生じる
出典と確認メモ
5件- 文脈二次資料で確認済み研究上論争あり
研究上論争あり: dewey-1 context は、John Dewey 'Democracy and Education' (1916) 第七章「The Democratic Conception in Educa...
一次資料を開く第七章 'The Democratic Conception in Education' 全文。'A democracy is more than a form...
- 抜粋一次資料で確認済み原典確認済み
原典確認済み: 民主主義とは、政府の形式である以前に、共生された経験のあり方である
一次資料を開くChapter 7 'The Democratic Conception in Education', Section 2 'The Democratic Id...
- 抜粋一次資料で確認済み原典確認済み
原典確認済み: 民主主義とは、政府の形式である以前に、共生された経験のあり方である。
一次資料を開くChapter 7 Section 2 'The Democratic Ideal' 冒頭の verbatim 引用。frontmatter 版に句点追加のみで...
- 出典一次資料で確認済み原典確認済み
原典確認済み: dewey.mdx pullsource '『民主主義と教育』第7章' は John Dewey, Democracy and Education (1916) Chapter 7 'The Demo...
一次資料を開くChapter 7 Section 2 'The Democratic Ideal' に 'A democracy is more than a form of...
- 引用二次資料で確認済み要旨訳
要旨訳: 民主主義は、世代ごとに生まれ直さねばならない。そして教育こそ、その産婆役である。出典は1916年の産業教育論『The Need of an Industrial Education in an Ind...
つながり
- ヘーゲル
批判的継承 — ジョンズ・ホプキンス大学時代(1882-84)にG. S. モリスのもとで聖ルイ・ヘーゲリアン学派の系譜から英米ヘーゲル主義を吸収、博士論文「カントの心理学」もヘーゲル主義の立場。後にジェイムズ『心理学原理』(1890)を契機に離れ、『論理学的理論の研究』(1903)『経験と自然』(1925)で経験を基点とするプラグマティズムへ転回するが「ヘーゲルの永久的預託」(From Absolutism to Experimentalism, 1930)を認める
- ルソー
共鳴 — 『民主主義と教育』(1916)第8章でルソー『エミール』(1762)の自然主義教育を高く評価、子どもの成長を起点とする発達主義を両者の共通点として抽出。ただしルソーの個人主義的自然主義は退け、経験の社会的・協働的性格を強調して社会的プラグマティズム教育論へ展開
- ウィリアム・ジェイムズ
伴走 — デューイはジェイムズ『心理学原理』(1890)を「私をヘーゲル主義から離脱させた決定的な契機」と述べる(1930年「絶対主義から実験主義へ」)。ジェイムズ晩年の『プラグマティズム』(1907)『根本的経験論』(1912)とデューイ『経験と自然』(1925)『論理学――探求の理論』(1938)は、パースと並ぶアメリカ・プラグマティズムの三世代の柱
- 胡適
継承 — 1915-17年コロンビア大学博士課程でデューイのもとで『先秦名学史』の博士論文を執筆、プラグマティズムを「実験主義(Experimentalism)」として中国に導入。1919-21年デューイの中国講演旅行(5月4日運動の直中)を通訳として全面的に支え、『胡適文存』所収の論考群でデューイの工具主義をそのまま中国近代の方法論として翻案した直系の弟子
さらに読むならFurther Reading
デューイの思索に近づく、手に取って損のない版を三冊まで。 岩波・ちくま・講談社学術文庫を基本に、原著または定評ある英訳を一冊添えています。
入門民主主義と教育(上・下)
ジョン・デューイ / 訳: 松野安男 / 岩波文庫
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生きた跡を辿るPlaces
デューイが歩いた街・記された碑・思索が残る館。 机から抜け出して一度、場所の側から哲学に触れてみる。
- イラ・アレン礼拝堂 デューイ記念碑墓所
バーリントン(ヴァーモント州), アメリカ
1859年バーリントン生まれ。母校UVMキャンパス内のイラ・アレン礼拝堂に1972年に夫妻の遺灰が納められた
さらに辿るならExternal References
デューイを別の角度から辿るための外部リンクを並べています。 百科事典・原典アーカイヴ・記念館など、出典はそれぞれ性格が異なります。 リンク先のアクセス条件(閲覧のみ可、要登録、借覧制限など)は サイト側の表記を参照してください。
WikipediaWikipedia 日本語版「ジョン・デューイ」項
WikipediaEnglishWikipedia English — "John Dewey"
Stanford Encyclopedia of PhilosophyEnglishStanford Encyclopedia of Philosophy — "John Dewey"
Internet Encyclopedia of PhilosophyEnglishInternet Encyclopedia of Philosophy — "John Dewey (1859—1952)"
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