マルクス
世界を解釈するだけでなく、 変えるには?
資本主義の核心を暴き、労働者解放を思想と運動に変えた革命家
- 資本論
- 疎外
- 史的唯物論
時代の空気
1818年プロイセン西端トリーア生まれ、ナポレオン戦争後のウィーン体制下で青年期を送った世代。プロイセン法はユダヤ人の弁護士職を禁じ、父ハインリヒは改宗してこの制限をかわしていた。ベルリン大学ではヘーゲル哲学が支配し、青年ヘーゲル派の急進的批判が広がる一方で、新聞は厳しい検閲下に置かれ、1843年に『ライン新聞』も廃刊された。パリ・ブリュッセル・ロンドンを転々とした亡命生活は、1848年のヨーロッパ革命とその挫折、英国産業革命下のマンチェスター工場と都市貧困、1864年の第一インターナショナル結成という労働運動の国際化と並行していた。
01トリーアのユダヤ系改宗家族
1818年5月5日、プロイセン西端の古都トリーア(Trier)に生まれた。ライン川沿いのこの街は、ローマ帝国の遺跡が残り、ブドウ畑が丘を覆う。父ハインリヒ・マルクスは地域で名の知れた法律家で、代々ユダヤ教の家系だった。ユダヤ人に弁護士職を禁じる当時のプロイセン法に対応するため、父はカール誕生の前にキリスト教プロテスタントへ改宗していた。母や子らの受洗はやや遅れ、カール自身を含む子どもたちは1824年に受洗している。
ハインリヒは啓蒙主義とカント哲学を敬愛する合理主義者で、息子の知的教育に熱心だった。カールの幼年時代は比較的裕福で安定していた。隣人バロン・フォン・ヴェストファーレンの娘ジェニーとは幼い頃から顔なじみで、やがて二人は恋に落ちる。社会的階層を越えたこの結婚への道は、長く平坦ではなかった。
02ベルリン大学、ヘーゲル左派の青年
1835年、マルクスはボン大学に入学し翌年ベルリン大学に移った。当初は法律を学んだが、すぐに哲学の磁力に引き寄せられた。ヘーゲル哲学が支配するベルリンで、彼は「(青年ヘーゲル派)」のサークルに加わった。ブルーノ・バウアー兄弟らと深夜まで議論を重ね、ヘーゲルの弁証法を継承しつつも、その保守的な結論を批判する方向へと急速に進んでいった。
ヘーゲルは「現実的なものは合理的であり、合理的なものは現実的だ」と説いた。青年マルクスはこの命題を逆用した ― 現実が不合理なら、変えるのが哲学の仕事ではないか。1841年、彼は「エピクロスとデモクリトスの自然哲学の相違」で博士号を取得した。アカデミアへの道はバウアーへの弾圧で閉じたが、マルクスの思考はすでに別の地平を向いていた。
03ジェニーとの結婚、『ライン新聞』編集長
1842年、マルクスは急進的な『ライン新聞』(Rheinische Zeitung)の編集長に就任した。24歳だった。彼は木材の窃盗法やモーゼル川のブドウ農家の窮状を論じ、プロイセン当局の検閲を繰り返し告発した。記事は鋭くなるにつれて当局の目に留まり、1843年3月、政府命令で廃刊となった。
廃刊の直前、マルクスはジェニー・フォン・ヴェストファーレンと結婚した。7年間の婚約の末だった。ジェニーは貴族出身でありながら、マルクスの知的同伴者として、迫害と貧困の生涯を最後まで共にした。二人はすぐにプロイセンを去り、パリへ向かう。検閲で筆を折らされた編集者は、亡命生活の中で「世界を変える」という問いを研ぎ澄ませていった。
04パリでエンゲルスと出会う
1843年秋、マルクスはパリに移住した。フランスの社会主義運動と労働者階級の現実に初めて接したこの都市で、彼は精力的に書いた。『ユダヤ人問題によせて』(1843)では市民的解放の限界を論じ、『経済学・哲学草稿』(1844)では疎外の概念を軸に、資本主義における労働者のを分析した。人間が自らの労働から、生産物から、他者から、そして類的本質から切り離される ― この疎外論はマルクス思想の根幹となる。
1844年8月、パリのカフェでフリードリヒ・エンゲルスと再会した。二人は以前、短い文通があったが、今回の10日間の対話は生涯の同盟の始まりだった。マンチェスターの工場を見てきたエンゲルスが持つ労働者階級の生々しい現実と、マルクスの哲学・経済学的分析は、完璧に噛み合った。翌1845年、マルクスはパリを追放される。次の目的地はブリュッセルだった。
05ブリュッセル亡命、『共産党宣言』1848
ブリュッセルに移ったマルクスとエンゲルスは、共同作業を加速させた。『』(1845-46)では史的唯物論の骨格を構築した ― 歴史を動かすのは精神ではなく、物質的な生産関係であり、経済的土台が政治・法・文化の上部構造を規定する。
1848年、ヨーロッパを革命の嵐が席巻した年の直前、二人は『』を書き上げた。「ヨーロッパに幽霊が出る ― 共産主義という幽霊が」の書き出しで始まるこの文書は、を骨格に階級闘争の必然性と労働者の団結を宣言した。二十数ページの小冊子は当初ほとんど読まれなかったが、革命の波が収まると、19世紀で最も影響力ある政治文書になっていった。革命の失敗後、マルクスは再び国を追われた。
哲学者たちは世界をさまざまに解釈してきただけだ。肝心なのは、それを変えることである。
06ロンドンでの貧困と執筆
1849年夏、マルクス一家はロンドンに落ち着いた。以後34年、彼はこの街で生涯を終える。しかし「落ち着いた」という言葉は実態に程遠かった。ソーホーのディーン・ストリートに借りた狭いアパートは常に生活費に窮し、七人の子のうち成人まで生き延びたのは三人だけだった。幼い子供たちが相次いで死んだ。家具を差し押さえられた日も、食料が尽きた日も少なくなかった。エンゲルスが仕送りを続けなければ、一家は路頭に迷っていた。
それでもマルクスは書いた。大英博物館の図書館に毎日通い、経済学の資料を読みあさった。傍線と注釈で埋め尽くされたノートが積み上がった。ジェニーは原稿の清書を引き受け、長女エレノアは父のメモを整理した。ロンドンの霧と貧困の中で、資本主義の解剖学は少しずつ形を成していった。
07『資本論』第1巻 1867
1867年9月14日、『』第1巻がハンブルクで刊行された。マルクス49歳。構想から20年、ロンドン移住から18年の到達だった。
『資本論』の核心は剰余価値の概念にある。労働者は自分の労働力を商品として売るが、賃金として返ってくる価値より多くの価値を生産する。その差額が資本家の利潤の源泉だ。ここに搾取の構造がある。さらにマルクスは商品の物神性(Warenfetischismus)を論じた ― 人間と人間の関係が、物と物の関係(商品、貨幣)として現れ、社会の真の関係が見えなくなる現象で、後年この主題はルカーチらにより「物象化(Verdinglichung)」として再提示される。資本主義は人間の活動そのものを疎外する構造として、隅々まで解剖された。
第1巻は思想界に衝撃を与えたが、部数は伸び悩んだ。マルクスは第2・3巻の執筆を続けたが、健康は悪化の一途をたどった。未完の草稿はエンゲルスが整理し、マルクス死後に第2巻(1885)・第3巻(1894)として刊行した。
08第一インターナショナル、晩年、死
1864年、国際労働者協会()がロンドンで設立された。マルクスは創立声明と規約を起草し、事実上の理論的指導者となった。ヨーロッパ各国の労働運動、共和主義者、アナキストが一堂に会したこの組織は、内部対立(特にバクーニンとの権力闘争)を経て1876年に解散するが、国際的な労働運動の萌芽として歴史に刻まれた。
晩年のマルクスは病苦と格闘し続けた。1881年12月、妻ジェニーが長い闘病の末に死去した。マルクスは「彼女は私の最良の部分だった」と語ったという。翌1882年、長女ジェニー・ロングランも先立った。肉体も気力も急速に衰えた。
1883年3月14日昼過ぎ、マルクスは書斎の肘掛け椅子で息を引き取った。65歳。3月17日、ロンドン北部のハイゲイト墓地で埋葬された。参列者は11人だけだった。エンゲルスが弔辞を読み、「ダーウィンが有機的自然の法則を発見したように、マルクスは人間の歴史の発展法則を発見した」と語った。後年、娘エレノアとラウラはいずれも自ら命を絶った。
09主要な出来事と著作
- プロイセン・トリーアに誕生。父ハインリヒは既にプロテスタントへ改宗済みのユダヤ系法律家
- ボン大学→ベルリン大学。ヘーゲル左派に参加。イエナ大学にて博士号取得
- 『ライン新聞』編集長。検閲・廃刊。ジェニー・フォン・ヴェストファーレンと結婚。パリ移住
- 『ユダヤ人問題によせて』『経済学・哲学草稿』。エンゲルスとパリで出会い生涯の協働始まる
- ブリュッセル亡命。エンゲルスと『ドイツ・イデオロギー』執筆(史的唯物論の確立)
- 『共産党宣言』刊行。ヨーロッパ各地で革命。革命失敗後にロンドンへ追放
- ロンドン定住。大英博物館図書館での研究。貧困の中で7人の子のうち4人を失う
- 第一インターナショナル(国際労働者協会)設立に参加、創立宣言を起草
- 『資本論』第1巻刊行。剰余価値・商品の物神性・商品論の体系
- 妻ジェニー死去
- 3月14日、ロンドンにて死去。享年65。ハイゲイト墓地に埋葬。エンゲルスが弔辞
残した思想の輪郭
- 疎外 ― 労働者が自らの労働・生産物・他者・類的本質から切り離される資本主義の構造的現象
- 史的唯物論 ― 歴史を動かすのは精神ではなく物質的生産関係。経済的土台が上部構造を規定する
- ― 労働者が生み出す価値と賃金の差額が搾取の源泉であるという資本主義分析の核心
- ― すべての歴史は階級間の闘争の歴史であり、資本家階級と労働者階級の矛盾が社会変革を駆動する
- (Warenfetischismus) ― 人間関係が商品・貨幣という物の関係として現れ、社会の真実が隠蔽される現象(後年「物象化(Verdinglichung)」として受け継がれる)
出典と確認メモ
5件- 文脈一次資料で確認済み原典確認済み
原典確認済み: 1845年春、ブリュッセルで書かれた『フォイエルバッハに関するテーゼ』最終第11項。生前には公表されず、1888年エンゲルスが整理して発表した覚書である。フォイエルバッハの唯物論を、観想にとどまる限界...
一次資料を開く'Written: by Marx in the Spring of 1845, but slightly edited by Engels' / 'First...
- 抜粋一次資料で確認済み原典確認済み
原典確認済み: 哲学者たちは世界をさまざまに解釈してきただけだ。肝心なのは、それを変えることである。
一次資料を開くThesis 11 verbatim 独語: 'Die Philosophen haben die Welt nur verschieden interpret...
- 抜粋一次資料で確認済み原典確認済み
原典確認済み: 哲学者たちは世界をさまざまに解釈してきただけだ。肝心なのは、それを変えることである
一次資料を開くThesen über Feuerbach 独語原典 Thesis 11 verbatim: 'Die Philosophen haben die Welt n...
- 出典一次資料で確認済み原典確認済み
原典確認済み: marx.mdx pullsource '『フォイエルバッハ・テーゼ』第11' は Karl Marx 'Thesen über Feuerbach' Thesis 11 (1845 年春 Brüss...
一次資料を開くThesen über Feuerbach 独語原典全 11 thesis 公開。philoglyph pullsource '第11' は Thesis 11...
- 引用一次資料で確認済み原典確認済み
原典確認済み: 一つの幽霊がヨーロッパを徘徊している ― 共産主義という幽霊が
一次資料を開くロンドン 1848 年 2 月 21 日刊『Manifest der Kommunistischen Partei』(23 頁)。冒頭一行: 'Ein Gesp...
つながり
- デモクリトス
先駆 — マルクス博士論文『デモクリトスとエピクロスの自然哲学の相違』(1841、イェーナ大学)はヘーゲル学派左派の立場から両者のアトム論を比較、特にエピクロスのクリナメン(逸脱)を決定論からの主観の自由の端緒として哲学史上に位置づけた。若きマルクスの哲学史的関心と史的唯物論形成の原初的契機
- ヘーゲル
批判的継承 — 『資本論』第1巻第2版あとがき(1873)で「ヘーゲルのもとで弁証法は頭で立っているが、神秘的な殻を剥いで合理的な核を取り出すためには足で立たせ直さねばならない」と述べる。『経済学・哲学草稿』(1844)ではヘーゲル『精神現象学』の労働と疎外の章を肯定的に継承し、観念論的弁証法を史的唯物論へと転倒
- アダム・スミス
先駆 — 『資本論』(1867-)はスミス『国富論』(1776)の労働価値説を出発点とし、「スミスの労働価値説からリカードへ、そして剰余価値の発見へ」という継承の系譜を明示。『剰余価値学説史』(遺稿、1905-10カウツキー編)ではスミスの価値論の揺らぎ(投下労働価値説と支配労働価値説の混在)を徹底的に批判的に読解
- チャールズ・ダーウィン
先駆 — マルクスは『種の起源』(1859)を1860年にエンゲルス推薦で読み、書簡で「自然史における階級闘争の基礎をわれわれの観点から提供してくれた」と評価。『資本論』第2版(1873)献辞ではダーウィンを想起させる「進化的歴史的方法」を強調。かつて広く信じられた「マルクスが『資本論』をダーウィンに献じようとした」説は書簡誤読で、近年否定されている
- ローザ・ルクセンブルク
継承 — 『資本論』の再生産表式を『資本の蓄積』で帝国主義論へ拡張
- ヴァルター・ベンヤミン
継承 — 1920年代末に『資本論』を精読、遺作「歴史の概念について」(1940)の歴史哲学テーゼで史的唯物論を「負けた者の歴史」へ反転
- テオドール・W・アドルノ
継承 — 商品形式と物象化の分析を文化産業論へ拡張、『啓蒙の弁証法』(1947、ホルクハイマー共著)のイデオロギー批判の骨格
- ホー・チ・ミン
継承 — パリ滞在中(1919-23)にレーニン『植民地・民族問題のテーゼ草案』(1920)を読んで共産主義者に転向。以後『資本論』とレーニン主義を植民地解放の武器として独自にベトナム化し、1930年インドシナ共産党結成へ
- チェ・ゲバラ
継承 — 『ゲリラ戦争』(1960)『キューバにおける社会主義と人間』(1965)でマルクス=レーニン主義を基盤としつつ「新しい人間(hombre nuevo)」の倫理的構想を加え、物質的インセンティブに偏る正統派ソ連型社会主義を批判。アルチュセール的な構造主義マルクス主義ではなく、倫理的・主意主義的なラテンアメリカ・マルクス主義
- マックス・ホルクハイマー
継承 — 1931年社会研究所所長就任講義「社会哲学の現状と社会研究所の課題」および1937年論考「伝統的理論と批判理論」で、マルクスのイデオロギー批判と商品分析を「学際的唯物論」として再構成。ただし正統派マルクス主義の経済決定論は退け、フロイトの精神分析と結合させた批判理論の綱領を起草
- ヘルベルト・マルクーゼ
継承 — 1932年に発見された『経済学・哲学草稿』(1844)への初期寄稿(1932年論考)以降、疎外論を中心に据えたヒューマニスト・マルクス主義の系譜を継承。『ソヴィエト・マルクス主義』(1958)でソ連型マルクス主義を「党の物神化」と批判しつつ、マルクスの解放的核心を守ろうとする批判的マルクス主義
- エンゲルス
伴走 — 1844年8月パリのカフェ・ド・ラ・レジャンスでの10日間の再会以来、1883年マルクス死去までの39年間の協働。『聖家族』(1845)『ドイツ・イデオロギー』(1845-46)『共産党宣言』(1848)は共著、マルクス死後エンゲルスは『資本論』第2巻(1885)・第3巻(1894)を遺稿から編集刊行、さらに無収入時代のマルクス一家を父の工場収益から経済的に支え続けた。単なる「共著者」を超えて、思想・生活・死後整理のすべてを共有した稀有な知的同盟
- ハンス・ケルゼン
反発 — Marx・Engels 経由で流通する「法は階級道具」テーゼに対し、Kelsen は『社会主義と国家』(*Sozialismus und Staat*, 1920) で純粋法学の立場から応答した。Kelsen は社会主義の理想を否定したわけではないが、法を経済的下部構造の上部構造として記述するマルクス主義的方法論には、法の自律性をめぐる中核的対立として距離を置いた。Sein/Sollen 峻別は法を社会学に還元する読みを方法的に退ける
さらに読むならFurther Reading
マルクスの思索に近づく、手に取って損のない版を三冊まで。 岩波・ちくま・講談社学術文庫を基本に、原著または定評ある英訳を一冊添えています。
入門資本論 (一)
カール・マルクス / 訳: 向坂逸郎 / 岩波文庫
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Karl Marx / 訳: Ben Fowkes / Penguin Classics
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生きた跡を辿るPlaces
マルクスが歩いた街・記された碑・思索が残る館。 机から抜け出して一度、場所の側から哲学に触れてみる。
- カール・マルクス・ハウス生誕
トリーア, ドイツ — Karl-Marx-Haus
1818 年の生家。F・エーベルト財団が運営する伝記博物館
- ハイゲート墓地 (マルクス墓所)墓所
ロンドン, イギリス
有名な巨大胸像と「万国の労働者よ、団結せよ」の碑。東側墓地
- 大英図書館 (旧閲覧室跡)所属
ロンドン, イギリス
『資本論』執筆の舞台。旧大英博物館円形閲覧室はブルームズベリーに現存
さらに辿るならExternal References
マルクスを別の角度から辿るための外部リンクを並べています。 百科事典・原典アーカイヴ・記念館など、出典はそれぞれ性格が異なります。 リンク先のアクセス条件(閲覧のみ可、要登録、借覧制限など)は サイト側の表記を参照してください。
WikipediaWikipedia 日本語版「カール・マルクス」項
Stanford Encyclopedia of PhilosophyEnglishStanford Encyclopedia of Philosophy — "Karl Marx"
Project GutenbergEnglishThe Communist Manifesto(Samuel Moore 英訳)— Project Gutenberg
エンゲルス共著、『共産党宣言』英訳
Project GutenbergEnglishCapital, Vol. I(Moore & Aveling 英訳)— Project Gutenberg
『資本論』第一巻英訳
Internet ArchiveEnglishMarxists Internet Archive — Marx/Engels 原典アーカイブ
多言語の著作・書簡を網羅する独立アーカイブ
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