大スキピオ·BC236/235–BC183·古代ローマ
「彼(ハンニバル)もまた、戦いの女神の指図に従って陣頭に立つ者である。勝つか負けるかは、我ら二人のどちらにも、この地上で決めることはできない」
この言葉の背景
紀元前202年秋、カルタゴ近郊ザマの戦いの前夜、ローマ側大将プブリウス・コルネリウス・スキピオと宿敵ハンニバルが両陣営の間で会見したと、リウィウスが『ローマ建国史』第30巻に伝える場面の応答の意訳である。第二次ポエニ戦争十七年の死闘の末、互いを敬う二人の将軍が、勝敗を人の意志の下ではなく戦女神の手のうちに置いて対峙した。翌日スキピオは勝利し「アフリカヌス」の名を得るが、この一句は勝者の側の慎みとして読み継がれてきた。
出典と確認メモ
3件- 解釈一次資料で確認済み要旨訳
要旨訳: 紀元前202年秋、カルタゴ近郊ザマの戦いの前夜、ローマ側大将プブリウス・コルネリウス・スキピオと宿敵ハンニバルが両陣営の間で会見したと、リウィウスが『ローマ建国史』第30巻に伝える場面の応答の意訳であ...
一次資料を開く30.31.6-7 で Scipio の返答 'As for myself, I do not forget what weak creatures we me...
- 出典校訂版で確認済み要旨訳
要旨訳: ザマ前夜の会見でスキピオに帰される応答、リウィウス『ローマ建国史』第30巻30-31節より(意訳)
一次資料を開くMoore Loeb 校訂は OCT Conway-Walters を底本とした羅英対訳の標準学術版。Vol. VIII (Books XXVIII-XXX, ...
- 抜粋校訂版で確認済み要旨訳
要旨訳: 彼(ハンニバル)もまた、戦いの女神の指図に従って陣頭に立つ者である。勝つか負けるかは、我ら二人のどちらにも、この地上で決めることはできない