ルクレティウス
死ぬのが怖いのは、 なぜだろう。
エピクロス哲学を六歩格ラテン詩として定着させた、古代ローマの唯物論詩人
- 物の本性について
- 原子論
- エピクロス主義
- 哲学詩
- 死の恐怖
内戦の傷が残るローマで、貴族たちはギリシアの知恵に学んでいた。 — ひらく
時代の空気
共和制末期のローマ。スッラの独裁(BC82–79)が遺した内戦の傷はなお生々しく、キケロが弁論の名声を築き、カティリナの陰謀(BC63)が元老院を揺さぶり、カエサル・ポンペイウス・クラッススの第一次三頭政治(BC60)が共和政の屋台骨をきしませていた。貴族たちはギリシア哲学に学び、ナポリ近郊ヘルクラネウムにはピロデモスがエピクロス派の文書を遺す。ストア派と緊張しつつ、エピクロス派は静かな存在感を保っていた。エンニウスを継ぐ六歩格ラテン詩の可能性が試され、メンミウスのような貴族がパトロンとして詩人を支えた時代である。
01修道院の暗がりで
1417年の初め、南ドイツ。ひとりの男が、修道院の図書館を訪ねていた。名はポッジョ・ブラッチョリーニ。ローマ教皇に仕える書記官である。
彼はという、教会の大きな会議のために来ていた。会議が休みに入った合い間に、修道院(おそらくフルダ修道院)を訪ねたのだ。
そこで彼は、一冊の写本を見つけた。写本とは、手で書き写された本のことだ。9世紀に書かれたその本は、『物の本性について』と題されていた。書いたのは、千五百年近く前のローマの詩人である。
。身体が散り散りになれば、もはや感じる我々が存在しないのだから
死を恐れるな、と説く詩。それが千年近くのあいだ、ほぼ誰にも読まれず眠っていた。しかも、これを書いた詩人については、ほとんど何も分かっていない。生まれた年も、育った場所も、仕事も。
なぜ、こんな詩を書いた人の人生が、まるごと消えてしまったのか。なぜ、その詩は千年も眠らされたのか。答えを探すために、時は千五百年近く前のローマへ戻る。
02名前だけの詩人
ティトゥス・ルクレティウス・カルス(Titus Lucretius Carus)。この詩人について確かなのは、名前くらいである。生きたのは、およそBC99年からBC55年のあいだと推定される。ローマにまだ皇帝がいない、「共和制」の終わりの時代だ。
「カルス(Carus)」という家の名は、奴隷から解放された家系を示す、という説がある。だが確かな証拠はない。家族も、仕事も、社会での立場も、当時の記録は残っていない。
彼が育った時代のローマは、傷を負っていた。という将軍が力で国を握り、独裁を行った(BC82–79)。その内戦の傷は、まだ生々しかった。貴族たちはギリシアの哲学に学んだ。
同じ時代に生き、彼のことを確かな形で書き残した人は、ほぼひとりである。弁論家のキケロだ。
BC54年2月、弟クィントゥスへの手紙にこう書いた。「ルクレティウスの詩は、おまえが書くとおり、多くの才気の閃きと、しかし多くの技巧の跡がある」。わずか数行。それが同時代の、確かな唯一の証言である。
もうひとつ確かなことがある。彼は詩を、という貴族(元老院議員)に献呈した。読者として思い描いたのは、このメンミウスだ。メンミウスのような貴族が、詩人を支える時代だった。そして、その詩は六巻にわたる長い長い詩だった。中には、いったい何が書かれていたのか。
03六巻でひとつの宇宙
『物の本性について(De rerum natura)』は、七千四百行あまりの長い詩である。教えを伝えるための詩、つまり「教訓詩」だ。六つの巻は二つずつ組になり、三つの対をなす。整った建物のような作りである。
第一巻と第二巻は、世界のもとになるものを語る。出発点は「何ものも無から生じない(nil posse creari de nilo)」という原則だ。宇宙は、もう分けられない小さな粒「アトム(原子)」と、何もない「空虚(inane)」から成る。
原子は動き、ぶつかり、結びつく。そして、ときにほんの少しだけ道をそれる。この小さなずれを偏倚、またはと呼ぶ。このずれがあるから、すべてが決まりきった世界にはならない。人が自由に選ぶ余地が、ここに残る。
第三巻と第四巻は、魂と感覚を語る。魂もまた原子でできていて、体とともに散り散りになる。だから死んだあとの苦しみは存在しない。感覚、夢、恋の心理まで、原子の動きで説明する。第四巻の終わりの恋愛への批判は、とりわけ辛口だ。
第五巻と第六巻は、宇宙と自然を語る。宇宙と生命の始まり、社会と文化の生まれ方(「技術と法は必要が生んだ」)。雷、地震、疫病。それらすべてを、神の手を借りずに原子で読み解く。
この詩のもとは、ギリシアの哲学者エピクロス(BC341–270)の教えである。エピクロスの『自然について』全37巻は失われた。その中身を、ルクレティウスは壮麗な詩に移し替えたのだ。詩の冒頭で彼はエピクロスを「ギリシアの闇から光を掲げた男」と讃える。宗教への恐怖から人を救った、救い主として描くのである。
形式にも野心があった。彼が使ったのは、ラテン語の六歩格という厳しいリズムの詩形である。詩人以来、ローマの叙事詩(英雄の物語詩)が使ってきた形だ。散文で書かれたギリシアの哲学を、まるごと詩に移す。その挑戦の核心は、第三巻にある。
04死は何ものでもない
六巻のうち、読む人の心にいちばん深く届くのは第三巻だ。死の恐怖を取りのぞくこと。それがエピクロスの教えの中心だった。
ゆえに、死は我々にとって何ものでもない。魂の本性が死を免れぬと理解するならば。過去の時間において我々がいなかったことに苦しまないように、未来の時間において我々がいなくなることにも苦しむ理由はない。
人はなぜ死を恐れるのか。死んだ自分が、何かを感じると思ってしまうからだ。だが魂も原子の集まりで、死とともに散り散りになる。感じる自分が消えるのだから、死は「悪い経験」ではあり得ない。
いない人に何かが起こることは、理屈の上であり得ないのだ。ルクレティウスはこれを「死は我々にとって何ものでもない(nil igitur mors est ad nos)」と言い切った。
これは冷たい、物質だけの話に聞こえる。だが同時に、とても実用的な生き方の教えでもある。迷信と死の恐怖から自由になった人だけが、「不動の心()」に届く。
ルクレティウスは、エピクロスを「友情・簡素な食・詩の朗読のうちに平静を生きた者」として理想の姿に描く。しかし彼自身の言葉には、むしろ恐怖に怯える人々への、切実な同情がにじむ。詩はここで、哲学の冷たさを、いやしの声に変える。
だが、死を恐れるなと説くこの人は、神をどう扱ったのか。
05神々と疫病
第一巻の初めに、有名な一節がある。「かくも多大な悪しき行為を、宗教は引き起こしえた(tantum religio potuit suadere malorum)」。彼が思い浮かべるのは、ある伝説だ。アルゴス王アガメムノンが、女神アルテミスの祭壇で娘イフィゲネイアを殺した話だ。神々への恐怖が、人にあり得ないほどの残虐を強いてきた。
ルクレティウスの神々は、エピクロスの教えどおり、宇宙のすきまの世界に住む。それが間隙世界(intermundia)である。人間のことには関心を持たない。祈りは届かず、いけにえは意味を持たない。
これは「神はいない」という話ではない。「人間に手を出さない神」を信じることで、恐怖そのものを打ち消す仕掛けなのだ。
ところが同じ第一巻の冒頭には、もうひとつの顔がある。ウェヌス(ヴィーナス)への賛歌(I.1–49)だ。生み出す力と平和の女神に、祈りを捧げる歌である。神は人にかまわない、という本論と一見矛盾する。だが、争いの続くローマで詩を読み始める人を迎える、静かな入り口なのだ。
題名の「De rerum natura(物の本性について)」も、ギリシア語 phusis の翻訳語 natura を中心に置く。自然そのものを主役にする、という宣言だ。
そして第六巻の終わり。詩は突然、BC430年のアテネの疫病の描写で閉じられる。歴史家トゥキュディデスの『戦史』第二巻を、詩に移したものだ。ペロポネソス戦争のさなかにアテネを襲った、疫病の生々しい記述。死を恐れるなと説いた詩が、人の死の具体的な姿で終わるのである。
なぜこう終わるのか、古くから多くの解釈がある。人の存在のもろさを見せて、読者を正しい生き方へ向ける意図。あるいは、詩が未完だった可能性。どちらも指摘されている。いずれにせよ、壮大な宇宙の詩が人の死で結ばれる構造は強烈だ。だが、神に祈りは届かないと言い切ったこの詩を、後の時代は許さなかった。
06千年の眠り、そして1417年
ルクレティウスの詩は、古代の終わりごろにはまだ読まれていた。キリスト教の教父ラクタンティウスは、『神的教理』で引用している。
4世紀の末、キリスト教徒ヒエロニムスが『クロニコン』(年代記)にこう記した。「ルクレティウスは媚薬によって狂気にとらわれ、正気の合間に何冊かの書を書き、キケロが後に校訂した上で、自ら命を絶った。44歳だった」。恋の薬で気が狂い、自ら死んだ詩人。強い印象を残す話だ。
だがこの逸話は、同じ時代の資料にひとつも裏づけがない。神を恐れぬ彼の思想をおとしめるため、後の世に作られた話だと今は考えられている。スエトニウスを通じて伝わったとされる「キケロ校訂説」も、確かな証拠はない。
彼の人生について分かることは、実はこれで全部なのだ。ここで冒頭の問いに戻ろう。なぜ詩人の人生は消えたのか。同じ時代に彼を確かな形で書き残した人は、ほぼキケロだけだった。四百年あまり後に残されたのは、敵意のこもった作り話だけだった。作品だけが、伝記の代わりを務めることになったのである。
さらに、詩そのものも眠りに入る。神に祈りは届かない。魂は死とともに散る。楽しみ(快楽)を善とする。この教えは、キリスト教と折り合いが悪かった。
中世を通じて、西ヨーロッパのラテン語世界では、ほぼ読まれなくなった。写本は北の修道院の図書館の暗がりで、忘れられたまま眠り続けた。
その眠りを破ったのが、1417年のポッジョ・ブラッチョリーニだった。コンスタンツ公会議の休会中に彼が手にしたのは、まさに失われる寸前の一冊である。ポッジョは友人に写しを託した。詩はフィレンツェの人文主義者(古典を学ぶ学者たち)の間に、急速に広まった。千年の眠りは、こうして終わった。ではこの一冊は、その後の世界に何を残したのか。
07詩として哲学する――写本と遺産の考証
中世を生き延びた写本系統は、9世紀カロリング朝期に書写された三本に集約される――Codex Oblongus(O、長判)、Codex Quadratus(Q、四方判)、そして断片群 Schedae(S)である。中世全体を通じて O と Q はライデンへ、S はコペンハーゲンとウィーンへと細々と伝わり、まさに失伝寸前の状態を保ったにすぎない。ポッジョが1417年に手にしたのも一冊の9世紀写本であり、ニッコリの複写を経てフィレンツェ人文主義者の間に流通し、1473年のブレシアにおける最初の印刷本へと繋がる。
スティーヴン・グリーンブラットの(『The Swerve』、2011)はこの再発見を文明史の転換点として描く。幾分か大胆ではあるが、モンテーニュの『』における百数十箇所の引用、ジョルダーノ・ブルーノの、ガリレオの読書、のエピクロス再興、ニュートンの書簡、トマス・ジェファソンの蔵書(原本5冊を所有)、ダーウィンの読書記録、ベルクソンの参照、若きマルクスの博士論文(デモクリトスとエピクロスの自然哲学の差異)に至るまで、ルクレティウスの痕跡は近世・近代思想のいたるところに見いだせる。
ルクレティウスは、ギリシア語で散文化されたエピクロスの哲学を、厳密なラテン詩の形式に翻案した。原子論のような技術的に精密な内容を、比喩と音律の詩に落とし込むことは、それ自体が並外れた知的達成である。例えば第二巻で、彼は原子を太陽光の中の塵に喩え、雲の形成を「原子の羊毛が集まるように」描く。ウェルギリウスは『』第二巻443-444行で「事物の原因を知りえた者は幸いなり(felix qui potuit rerum cognoscere causas)」と詠い、この一行は明らかにルクレティウスを念頭に置く。
エピクロス哲学は、本家よりもルクレティウスの詩として後世に残った。散文の『エピクロスの書簡』は断片だけが伝わるのに対し、『物の本性について』は完全な形で届けられた。詩はここで、思想を時間の中で生かす媒体となった。ルクレティウスは、自らを「ギリシアからラテン語に新しい詩を運び込む者」と呼んだ。彼が運び込んだのは、詩だけではない――恐怖に怯える人間への、冷徹にして優しい一つの態度である。
人生をまるごと失った詩人が、詩だけを千年の先へ届けた。あなたが夜ふけに死を思うとき、その恐れの中に、感じている「自分」はいるだろうか。
08主要な出来事と著作
- ローマ共和政末期に生誕(推定。出自詳細は不明)
- スッラの独裁。共和政末期の動乱を背景にこの世代が育つ
- 『物の本性について』六巻を執筆(メンミウス宛)
- キケロの書簡にルクレティウス詩への言及(同時代唯一の証言)
- 死去(享年44前後と推定、死因は諸説あり)
- 献呈先メンミウスが選挙不正で告発され、後にアテネへ亡命
- ヒエロニムスが『クロニコン』に狂気・自殺説を記す(信頼性低)
- カロリング朝期にO・Q・Sの写本系統が書写される
- ポッジョ・ブラッチョリーニが南ドイツの修道院で写本を再発見
- 最初の印刷本(ブレシア)
- モンテーニュ『エセー』で百数十箇所の引用
- ガッサンディがエピクロス・ルクレティウス主義を近代へ接続
- 若きマルクスが博士論文でデモクリトスとエピクロスを比較
- グリーンブラット『The Swerve』で再評価、ピュリッツァー賞
残した思想の輪郭
- 原子と空虚 ― 「何ものも無から生じない」の公理と原子論的自然観
- クリナメン(偏倚) ― 決定論を破る原子の微小な逸脱、自由意志の条件
- 死の恐怖の除去 ― 「死は我々にとって何ものでもない」の倫理的公式
- 神不介入の宗教観 ― 間隙世界の神々、祈りの無効と迷信批判
- 社会と文化の自然発生論 ― 技術・法・言語は必要と共同から生まれた
- 詩としての哲学 ― 散文の学説を詩の形式に翻案した唯一無二の達成
つながり
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さらに辿るならExternal References
ルクレティウスを別の角度から辿るための外部リンクを並べています。 百科事典・原典アーカイヴ・記念館など、出典はそれぞれ性格が異なります。 リンク先のアクセス条件(閲覧のみ可、要登録、借覧制限など)は サイト側の表記を参照してください。
WikipediaWikipedia 日本語版「ルクレティウス」項
WikipediaEnglishWikipedia English — "Lucretius"
Stanford Encyclopedia of PhilosophyEnglishStanford Encyclopedia of Philosophy — "Lucretius"
Internet Encyclopedia of PhilosophyEnglishInternet Encyclopedia of Philosophy — "Lucretius (c. 99—c. 55 B.C.E.)"
Project GutenbergEnglishOn the Nature of Things(De Rerum Natura, W. E. Leonard 英訳)— Project Gutenberg
『事物の本性について』英訳