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ルクレティウス

Lucretius·BC99?–BC55?·古代ローマ·

死を恐れぬ知を、 詩で受け取れるだろうか。

エピクロス哲学を六歩格ラテン詩として定着させた、古代ローマの唯物論詩人

  • 物の本性について
  • 原子論
  • エピクロス主義
  • 哲学詩
  • 死の恐怖

時代の空気

共和制末期のローマ。スッラの独裁(BC82–79)が遺した内戦の傷はなお生々しく、キケロが弁論の名声を築き、カティリナの陰謀(BC63)が元老院を揺さぶり、カエサル・ポンペイウス・クラッススの第一次三頭政治(BC60)が共和政の屋台骨をきしませていた。貴族たちはギリシア哲学に学び、ナポリ近郊ヘルクラネウムにはピロデモスがエピクロス派の文書を遺す。ストア派と緊張しつつ、エピクロス派は静かな存在感を保っていた。エンニウスを継ぐ六歩格ラテン詩の可能性が試され、メンミウスのような貴族がパトロンとして詩人を支えた時代である。

01伝記の薄さ、作品の厚み

ティトゥス・ルクレティウス・カルス(Titus Lucretius Carus)。名は知られているが、いつ生まれ、どこで育ち、何を職としたかは、ほとんど何も分からない。ローマ共和制末期、BC99?–55? の間を生きた詩人しじんであり、「カルス(Carus)」というコグノーメンが奴隷解放者かいほうしゃの家系を示唆するという説もあるが、確証はない。家族・職業・社会的地位を伝える同時代の記録は事実上存在しない。同時代人の確実な唯一の証言は、キケロの書簡(BC54年2月、弟クィントゥス宛)の一節――「ルクレティウスの詩は、おまえが書くとおり、多くの才気の閃きひらめきと、しかし多くの技巧の跡がある」――の、わずか数行である。

キリスト教徒ヒエロニムス(4世紀末)は『クロニコン』で、「ルクレティウスは媚薬びやくによって狂気にとらわれ、正気の合間に何冊かの書を書き、キケロが後に校訂した上で、自ら命を絶った。44歳だった」と記すが、この逸話は同時代資料に一切裏づけがなく、ルクレティウスの反神性思想を貶めるための後世の創作と現在は評価されている。スエトニウスを介して伝わったとされる「キケロ校訂こうてい説」も、確たる証拠を欠く。

確実なのは、彼が(共和政末期の元老院議員、詩の献呈けんてい先)を読者に想定し、六巻にわたる厳密な六歩格ラテン詩を書いたという事実だけである。生涯の不在そのものが、この詩人の register である。作品が、伝記の代わりを務めている。

02『物の本性について』六巻の構築

『物の本性について(De rerum natura)』は、計7400行余りの教訓詩。六巻は対になって三つのペアをなす、極めて整った構築である。

  • 第一巻・第二巻(原子論の基礎) ― 「何ものも無から生じない(nil posse creari de nilo)」という公理から出発し、宇宙は不可分のアトム(原子)と空虚(inane)から成ると説く。原子の運動・結合・偶発的な偏倚へんい()を導入し、決定論を破って自由意志の余地を確保する。
  • 第三巻・第四巻(魂と感覚) ― 魂もまた原子から成り、身体とともに散り散りになる。ゆえに死後の苦は存在しない。感覚・夢・愛欲の心理学を原子論で説明する(第四巻末尾の性愛批判はとりわけ辛辣な筆致である)。
  • 第五巻・第六巻(宇宙と自然現象) ― 宇宙と生命の起源、社会と文化の発生(「技術と法は必要が生んだ」)、雷・地震・疫病えきびょうなどの自然現象を、神の介入なしにすべて原子論で解釈する。

全体はエピクロス(BC341–270)の散逸した『自然について』(全37巻)の哲学内容を、壮麗な詩の形式へ翻案したものだ。ルクレティウスはエピクロスを、詩の冒頭で「ギリシアの闇から光を掲げた男」と讃え、宗教への恐怖から人類を解放した救世主として描く。ヘレニズムの散文を六歩格ラテン詩へ完全に移し替えるという野心は、エンニウス以来のラテン叙事詩の可能性を、思想の領域で問い直す試みでもあった。

03死は何ものでもない――倫理の核心

六巻のうち、読者の心に最も深く食い込むのは第三巻である。死の恐怖を解除することが、エピクロス倫理学の核心だった。

ゆえに、。魂の本性が死を免れぬと理解するならば。過去の時間において我々がいなかったことに苦しまないように、未来の時間において我々がいなくなることにも苦しむ理由はない。

『物の本性について』第三巻 830行前後(大意)

死の恐怖は、死んだ自分が何かを感じると無意識に想定することから生じる。しかし魂もまた原子の集合であり、死とともに散り散りになる。感じる主体が消えるのだから、死は「悪い経験」であり得ない――存在しない主体に何かが起こることは論理的にあり得ない。ルクレティウスはこれを「死は我々にとって何ものでもない(nil igitur mors est ad nos)」と定式化した。

これは冷徹な唯物論であると同時に、極めて実践的な倫理である。迷信と死の恐怖から解放された人だけが、「不動の心(アタラクシア)」に到達できる。ルクレティウスはエピクロスを「友情・簡素な食・詩の朗読のうちに平静を生きた者」として理想化するが、彼自身の筆致にはむしろ、恐怖に怯える人類への切迫した同情が滲んでいる。詩の形式はここで、哲学の冷徹さを癒しの声に変える媒体となる。

04宗教批判と「アテネの疫病」

第一巻の序で、ルクレティウスは有名な一節を置く――「かくも多大な悪しき行為を、宗教は引き起こしえた(tantum religio potuit suadere malorum)」。彼が念頭に置くのは、アルゴス王アガメムノンが娘イフィゲネイアを女神アルテミスの祭壇で殺した伝説である。神々への恐怖こそが、人間にあり得ないほどの残虐を強いてきた。

ルクレティウスの神々は、エピクロスの教義どおり、宇宙の間隙世界(intermundia)に住み、人間の営みに関心を持たない。祈りは届かず、供儀は無意味である。これは無神論ではなく、「人間不介入の神」への信として、むしろ恐怖の否定の装置である。

第一巻の冒頭には、もうひとつ印象的な顔がある――ウェヌス(ヴィーナス)への賛歌(I.1–49)である。生成と平和の女神に祈りを捧げる序歌は、不介入の神々を説く本論と一見矛盾するが、争乱期ローマで詩を読み始める者を静かに迎え入れる詩的な扉として組まれている。タイトル「De rerum natura(物の本性について)」もまた、ギリシア語 phusis の翻訳語 natura を中心に置き、自然そのものを主語にする宣言である。

第六巻の末尾、作品は突然、BC430年のアテネの疫病の描写で終わる――トゥキュディデス『戦史』第二巻の翻訳・詩化である。ペロポネソス戦争中のアテネを襲った疫病の生々しい記述で詩が閉じられることの意味については、古来多くの解釈がある。人間存在の脆さを提示して読者を倫理的態度へ向ける意図、あるいは作品が未完であった可能性の両方が指摘される。いずれにせよ、詩の壮麗な宇宙論が、人間の死の具体像で結ばれる構造は強烈である。

05中世の断絶と1417年の再発見

ルクレティウスの詩は古代末期にはまだ読まれていた。ヒエロニムスが逸話を載せ、キリスト教父ラクタンティウスが『神的教理』で引用する。だが、その反宗教性・唯物論・快楽倫理はキリスト教との折り合いが悪く、中世を通じて西方ラテン世界ではほぼ読まれなくなった。写本しゃほんは北方の修道院しゅうどういん図書館の暗所に、忘却のまま眠り続ける。

中世を生き延びた写本系統は、9世紀カロリング朝期に書写された三本に集約される――Codex Oblongus(O、長判)、Codex Quadratus(Q、四方判)、そして断片群 Schedae(S)である。中世全体を通じて O と Q はライデンへ、S はコペンハーゲンとウィーンへと細々と伝わり、まさに失伝寸前の状態を保ったにすぎない。

1417年初頭、教皇宮廷書記官ポッジョ・ブラッチョリーニ(1380–1459)が、コンスタンツ公会議の休会中に南ドイツの修道院(おそらくフルダ修道院)を訪れ、一冊の9世紀写本を発見した。『物の本性について』の、ほぼ失われかけていた写本である。ポッジョは友人ニッコロ・ニッコリに複写を託し、以後フィレンツェ人文主義者の間で急速に広まった。

スティーヴン・グリーンブラットの(『The Swerve』、2011)はこの再発見を文明史の転換点として描く。幾分か大胆ではあるが、モンテーニュの『エセー』における百数十箇所の引用、ジョルダーノ・ブルーノの無限宇宙論、ガリレオの読書、ガッサンディのエピクロス再興、ニュートンの書簡、トマス・ジェファソンの蔵書(原本5冊を所有)、ダーウィンの読書記録、ベルクソンの参照、若きマルクスの博士論文(デモクリトスとエピクロスの自然哲学の差異)に至るまで、ルクレティウスの痕跡は近世・近代思想のいたるところに見いだせる。

06詩として哲学する――ルクレティウスの遺産

ルクレティウスは、ギリシア語で散文化されたエピクロスの哲学を、厳密なラテン詩の形式に翻案した。原子論のような技術的に精密な内容を、比喩と音律の詩に落とし込むことは、それ自体が並外れた知的達成である。例えば第二巻で、彼は原子を太陽光の中の塵に喩え、雲の形成を「原子の羊毛が集まるように」描く。ウェルギリウスは『農耕詩』第二巻443-444行で「事物の原因を知りえた者は幸いなり(felix qui potuit rerum cognoscere causas)」と詠い、この一行は明らかにルクレティウスを念頭に置く。

エピクロス哲学は、本家よりもルクレティウスの詩として後世に残った。散文の『エピクロスの書簡』は断片だけが伝わるのに対し、『物の本性について』は完全な形で届けられた。詩はここで、思想を時間の中で生かす媒体となった。

ルクレティウスは、自らを「ギリシアからラテン語に新しい詩を運び込む者」と呼んだ。彼が運び込んだのは、詩だけではない――恐怖に怯えるおびえる人間への、冷徹にして優しい一つの態度である。

07主要な出来事と著作

  1. ローマ共和政末期に生誕(推定。出自詳細は不明)
  2. スッラの独裁。共和政末期の動乱を背景にこの世代が育つ
  3. 『物の本性について』六巻を執筆(メンミウス宛)
  4. キケロの書簡にルクレティウス詩への言及(同時代唯一の証言)
  5. 死去(享年44前後と推定、死因は諸説あり)
  6. 献呈先メンミウスが選挙不正で告発され、後にアテネへ亡命
  7. ヒエロニムスが『クロニコン』に狂気・自殺説を記す(信頼性低)
  8. カロリング朝期にO・Q・Sの写本系統が書写される
  9. ポッジョ・ブラッチョリーニが南ドイツの修道院で写本を再発見
  10. 最初の印刷本(ブレシア)
  11. モンテーニュ『エセー』で百数十箇所の引用
  12. ガッサンディがエピクロス・ルクレティウス主義を近代へ接続
  13. 若きマルクスが博士論文でデモクリトスとエピクロスを比較
  14. グリーンブラット『The Swerve』で再評価、ピュリッツァー賞

残した思想の輪郭

  • 原子と空虚 ― 「何ものも無から生じない」の公理と原子論的自然観
  • クリナメン(偏倚) ― 決定論を破る原子の微小な逸脱、自由意志の条件
  • 死の恐怖の除去 ― 「死は我々にとって何ものでもない」の倫理的公式
  • 神不介入の宗教観 ― 間隙世界の神々、祈りの無効と迷信批判
  • 社会と文化の自然発生論 ― 技術・法・言語は必要と共同から生まれた
  • 詩としての哲学 ― 散文の学説を詩の形式に翻案した唯一無二の達成
没年はBC55?年頃と推定される(享年44前後)。死に関する古代の「媚薬による狂気と自殺」説はキリスト教徒ヒエロニムスの記述のみで信頼性は低い。古代地中海世界から中世の写本図書館へ、そして1417年のポッジョ再発見を経て、西洋近世思想へ解き放たれた。
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  • 文脈原典で確認済み定本確認済み

    定本確認済み: 共和政末期のローマ、紀元前1世紀半ばにラテン語の六歩格詩で綴られた『物の本性について』第三巻、死の恐怖を解きほぐす章の要約である。師とあおぐエピクロスの原子論を引きつつ、ルクレティウスは魂もまた原子の...

    一次資料を開くLucretius DRN Bk 3 ラテン語原文、Bailey ed. ベース。魂の物質性 (animus / anima 原子論) と死の恐怖を解く論法 (...

  • 出典校訂版で確認済み要旨訳

    要旨訳: 『物の本性について』第三巻 830行前後(大意)

    一次資料を開くDeufert 校訂は最新の Teubner 学術校訂版。Liber III, 830-869 における 'mors nihil ad nos' 論証は Bai...

  • 文脈原典で確認済み要旨訳

    要旨訳: ルクレティウス『物の本性について (De Rerum Natura)』第二巻 646-651 行前後の Epicurus 派神学要約箇所の趣旨。神は存在しないのではなく、原子世界のはざまの「中間界 (...

    一次資料を開くLucretius DRN II.646-651: 'omnis enim per se divum natura necessest / immortali ...

  • 引用本文原典で確認済み原典確認済み

    原典確認済み: ゆえに、死は我々にとって何ものでもない。魂の本性が死を免れぬと理解するならば。過去の時間において我々がいなかったことに苦しまないように、未来の時間において我々がいなくなることにも苦しむ理由はない。

    一次資料を開くLiber III lines 830-831 'Nil igitur mors...' + lines 972-975 'respice item quam ...

  • 抜粋原典で確認済み原典確認済み

    原典確認済み: 死は我々にとって何ものでもない。身体が散り散りになれば、もはや感じる我々が存在しないのだから

    一次資料を開くLiber III line 830-831: 'Nil igitur mors est ad nos neque pertinet hilum, / quan...

  • 引用原典で確認済み定本確認済み

    定本確認済み: quotes.ts lucretius-2.text '神々がそもそも人間に関心をもつ、ということ自体が成り立たない。祝福された不死の者が、我々の苦労を気にする理由はないのだから' は Lucreti...

    一次資料を開くDe Rerum Natura 2.646-651: 'omnis enim per se divom natura necessest / inmortali...

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