マイモニデス
律法と哲学は、 同じ迷路の入口か?
コルドバからカイロへ、律法と哲学を結ぶ「迷える者」への手引きを書いたユダヤの大賢者
- 迷える者の導き
- 律法
- アリストテレス主義
時代の空気
1138年コルドバ生まれ、後ウマイヤ朝以来のアンダルスは多文化共生の最終局面にあった。1148年に北アフリカから侵攻したアルモハード朝がコルドバを征服、ズィンミー制度を廃して非ムスリムに改宗・追放・死刑を迫り、ユダヤ人共同体は壊滅的打撃を受けた。一家はモロッコのフェズ、パレスチナを経て1168年にエジプトのフスタート(旧カイロ)に定着。同地ではサラディンが1171年にファーティマ朝を倒してアイユーブ朝を樹立し、第三回十字軍を退けつつ宮廷でアラビア語の医学・哲学が栄え、マイモニデスは宮廷医として律法と哲学の双方を担う条件を得た。
01コルドバの生、アルモハード朝の嵐
1138年(伝承ではユダヤ暦4898年ニサン14日=過越祭の前夜、西暦ではおよそ3月末から4月初旬)、アンダルスのコルドバに生まれた。父マイモン・ベン・ヨセフは町のダヤン(宗教裁判官)で、高名なタルムード学者だった。家にはユダヤ教の律法、アラビア語のイスラム哲学、ヘブライ語の聖書学の蔵書が揃い、幼少期から三つの言語圏が重なる環境で育った。
1148年、北アフリカから侵攻してきたアルモハード朝(厳格なベルベル系イスラム王朝)がコルドバを征服した。従来のアンダルスで保たれていたズィンミー制度(キリスト教徒・ユダヤ教徒への一定の寛容)が廃止され、非ムスリムは改宗、追放、死刑の三択を迫られた。
マイモーン家は改宗を装うか、逃げるかの瀬戸際に立たされた。10歳のモーシェを連れて、家族はアンダルス南部を転々と逃亡した。公にはユダヤ教を隠し、商人としてフェズ(モロッコ)に移住、パレスティナを経て最終的にエジプト・フスタート(旧カイロ)に定着した。流浪は約20年に及び、青年期のほぼ全期間を奪った。
02ミシュナ注解、若き律法学者
フェズ時代(1160年代前半)、青年マイモニデスは(アラビア語で執筆)の仕事を始めた。ミシュナはタルムードの基層部分で、紀元後2世紀のラビ・ユダ・ハナースィーが編纂した口伝律法集である。彼は63編すべての条文に解釈を施し、合理的な律法理解の基礎を据えた。
この注解の序文として書かれた『サンヘドリン篇第10章の導入』で、彼は後に有名となる「ユダヤ教の13原理」を提示した。神の存在、唯一性、非身体性、永遠性、礼拝の唯一対象、預言の実在、モーセの預言の最高性、律法の天来、律法の不変、神の全知、神の賞罰、メシアの来臨、死者の復活。これはユダヤ教思想史上、最初の組織的信条提示であり、現代ユダヤ教の祈祷書にも記される。
1168年、一家はパレスチナのエルサレム・ヘブロンを経てフスタートに到着した。兄ダヴィドが宝石商として家を支えていたが、1169年ごろインド洋の船難で溺死し、投資金もすべて失われた。モーシェは深い悲嘆に沈み、一年以上病に臥したと後に書いている。兄の死後、一家を養うために彼は医業に就くことを決めた。
03医師、ラビ、二重の重圧
兄ダヴィドの死後、マイモニデスはカイロで医業に就き、1185年頃アイユーブ朝の宮廷医となった。サラディン(1174-1193在位)、次いでその子アル=アフダルの侍医を務めたと伝えられる。
彼の日常は過酷だった。翻訳者サムエル・イブン・ティボンへの書簡(1199年頃)でこう記している――「毎朝カイロに行き宮廷で診察に出る。帰宅は午後遅く、疲労困憊で食事を取る。それから夕方まで患者の行列に向き合い、寝る前にようやく机に向かう。安息日以外に、座って書く時間はほとんどない」。
それでも彼は書き続けた。フスタートのユダヤ共同体のナギード(指導者)を務め、イエメン、フランス、モロッコのユダヤ共同体から質問書簡が殺到した。棄教を強いられたイエメンのユダヤ人に宛てた『イエメン書簡』(1172年)は、絶望する共同体に「神は試みを与えるが、見捨てない」と呼びかける名文として残る。
04『ミシュネ・トーラー』――律法の新しい体系
1170年代にかけて執筆が進み、1180年頃に『ミシュネ・トーラー(Mishneh Torah、律法の反復)』は完成した。ヘブライ語、全14巻、膨大なユダヤ律法を主題別に再編成した画期的な体系書である。
それまでのユダヤ律法はタルムード(ミシュナとゲマラを合わせた膨大な議論集)として散在し、個別の判例を追うことで判断を導く仕組みだった。マイモニデスはこれを、聖書・ミシュナ・タルムードの厖大な議論から最終結論のみを抽出し、主題別(祈り・食事法・商取引・家族・刑罰など)に整理し直した。
各巻の末尾には短い哲学的考察が置かれ、律法の内的合理性を示唆する構成になっている。冒頭の『知識の書』は神の唯一性と偶像崇拝の禁止から始まり、哲学的神学の簡潔な教程を兼ねている。
この書は議論を呼んだ。正統派ラビの一部は「タルムードの議論を切り捨てた」と批判したが、やがてユダヤ世界で必携の(律法)書となり、現在まで世界中のシナゴーグの書架にある。
05『迷える者の導き』――哲学への手引き
1185-1190年頃、最も難しい大著『迷える者の導き(Moreh Nevukhim / Dalālat al-Ḥāʾirīn)』の執筆が進んだ。アラビア語(ヘブライ文字表記)で書かれ、全三部からなる。
序文で彼は読者層を明確にしている――「律法を信じ、律法を学び、同時にギリシア・アラビア哲学も学んでしまって、両者の矛盾に苦しんでいる若い知識人たち」。その人たちは字義通りの聖書と合理的哲学のあいだで宙づりになり、迷っている。そのための手引きとしてこの書を書く、と。
この書が扱う主題は、律法に関する深い知恵であり、それは「神の秘密」である。私はあなた方に鍵を提供するが、書き方はあえて分断的、順序は意図的に乱す。それは真理を、真剣にそれを求める者のみに示すためだ。
第一部は神の属性と擬人的聖書表現の寓意的解釈。神は身体を持たない。聖書が「神の手」「神の目」と言うのは全部比喩である、と詳述する。第二部はアリストテレス的宇宙論、世界の創造性(永遠性説を退ける)、。第三部は神の摂理、律法の理由、善悪の問題。
この書はトマス・アクィナスに深い影響を与えた。『神学大全』で、アクィナスは「ラビ・モーゼ」として繰り返し引用する。特に神の属性論、創造論、預言論は、マイモニデスを経由してアリストテレス哲学がキリスト教神学に流れ込む経路となった。
06最期、そしてユダヤ・イスラム・キリスト教への遺産
1204年、カイロで持病の悪化により没した。66歳。遺言により遺体はティベリアス(ガリラヤ湖畔、古代ユダヤ教の学問の中心地)に運ばれ、そこに葬られた。現在もティベリアスの墓所は巡礼地となっている。
彼の死を悼む言葉として、ユダヤ世界では「モーゼ(モーシェ)からモーゼ(ベン・マイモーン)まで、モーゼのような者はいなかった」(From Moshe to Moshe, there arose none like Moshe)が広く唱えられるようになった。出エジプトのモーセと同等の敬意を示す讃辞である。
アラビア哲学圏では彼の存在はあまり知られなかったが、西方ラテン中世では、ミクデスやモーゼの名で引用され、アクィナス、ドゥンス・スコトゥス、マイスター・エックハルトへと影響が流れた。ユダヤ世界では彼のラショナリズムに対する反動からカバラ(神秘主義)の復興が起きる一方、スペイン追放後のユダヤ人社会では彼は律法と知恵の不動の指標として読み継がれた。
17世紀、スピノザは彼の聖書寓意的解釈を『神学政治論』で批判的に継承し、そこから近代の聖書批評の一つの源流が流れ出す。彼の著作は、ユダヤ・イスラム・キリスト教の三大一神教を、同じ合理的神学の言語で結びつけた稀有な達成である。
07主要な出来事と著作
- コルドバに誕生
- アルモハード朝の征服、一家は流浪生活へ
- フェズ滞在、『ミシュナ注解』の執筆開始
- パレスチナを経由
- フスタートに到着、『ミシュナ注解』完成(13原理を含む)
- 兄ダヴィド溺死、以後医業で家族を支える
- 『イエメン書簡』執筆
- 『ミシュネ・トーラー』完成
- アイユーブ朝の宮廷医に、サラディンおよびアル=アフダルに仕える
- 『迷える者の導き』完成(アラビア語)
- サムエル・イブン・ティボンへの書簡、生活の実情を記す
- フスタートで死去。享年66。遺体はティベリアスへ
残した思想の輪郭
- ― ユダヤ教思想史上初の組織的信条、現代祈祷書にも収録
- ― タルムード議論を主題別に再編、ユダヤ律法体系の決定版
- ― 聖書寓意的解釈と哲学的神学、アクィナスに直接影響
- 神の属性論 ― 否定神学(神は「〜ではない」としか言えない)の徹底
- 創造論 ― アリストテレスの世界永遠説を退け、無からの創造を擁護
- 医学の実務 ― 『健康の養生』『喘息論』などの医学書も残し、アラビア医学に貢献
出典と確認メモ
5件- 引用原典で確認済み定本確認済み
定本確認済み: 慈善の最も高い段階は、貧しい者の手を取って与え、以後他人の助けに頼らずに済むようにすることである
一次資料を開くHilkhot Matnot Aniyim Chapter 10 verse 7: Maimonides の慈善 8 段階の最高位『מעלה גדולה שאי...
- 解釈二次資料で確認済み要旨訳
要旨訳: 1190年頃、カイロのフスタート地区でサラディン家の侍医を務めていたマイモニデスが、ユダヤ教徒の弟子ヨセフに宛てた体裁でアラビア語に書いた『迷える者の導き』序文の論旨である。律法とアリストテレス哲学の...
一次資料を開くBnF Gallica で Munk 校訂 Le guide des égarés Vol.1 (1856) facsimile を全 page 確認可能。Pr...
- 要旨訳解釈として提示要旨訳
要旨訳: 信仰の真理と理性の真理は、どちらも神から来る、両者が矛盾するなら、どちらかの理解が足りない
- 抜粋原典で確認済み定本確認済み
定本確認済み: この書が扱う主題は、律法に関する深い知恵であり、それは「神の秘密」である。私はあなた方に鍵を提供するが、書き方はあえて分断的、順序は意図的に乱す。それは真理を、真剣にそれを求める者のみに示すためだ。
一次資料を開く学術 analysis: Guide 序文で Maimonides は (1) 'object of the work and the method he ha...
- 出典原典で確認済み定本確認済み
定本確認済み: maimonides.mdx pullsource '『迷える者の導き』序文(1190年頃、ヘブライ語訳経由)' の表記には書誌精度の問題がある — 1190 は Judeo-Arabic 原典 (D...
一次資料を開くUniv. of Chicago Press: Pines 標準英訳 (1963, Strauss 序文付)。書誌情報で Maimonides Judeo-Ar...
つながり
- トマス・アクィナス
同時代 — マイモニデス『迷える者の導き』(1190頃)はラテン語訳(Rabbi Moses, Dux neutrorum)を通じてスコラに流入、トマスは『神学大全』や『命題集註解』で「ラビ・モーゼ」として繰り返し引用。特に神の名と属性論(「神について肯定的に述べることはできない」という否定神学)と、世界の永遠性/創造の問題で参照、ユダヤ・キリスト・イスラムの中世一神教哲学の結節点
- アヴィセンナ(イブン・スィーナー)
先駆 — マイモニデス『迷える者の導き』(1190頃、アラビア語原典)は、アヴィセンナ『治癒の書』とアルファラービーのアリストテレス哲学解釈を前提に執筆された。預言論・神の知識論・世界の永遠性/創造の問題でアヴィセンナの議論が随所で下敷きとなる。弟子ヨセフ宛書簡(1199頃)ではアルファラービーとアヴィセンナを哲学学習の必読書として推薦
- ガザーリー
先駆 — 哲学と宗教法の調停という課題を先行して提示、『迷える者の導き』第二部のアリストテレス批判の構造的前提に
生きた跡を辿るPlaces
マイモニデスが歩いた街・記された碑・思索が残る館。 机から抜け出して一度、場所の側から哲学に触れてみる。
さらに辿るならExternal References
マイモニデスを別の角度から辿るための外部リンクを並べています。 百科事典・原典アーカイヴ・記念館など、出典はそれぞれ性格が異なります。 リンク先のアクセス条件(閲覧のみ可、要登録、借覧制限など)は サイト側の表記を参照してください。
WikipediaWikipedia 日本語版「モーシェ・ベン=マイモーン」項
WikipediaEnglishWikipedia English — "Maimonides"
Stanford Encyclopedia of PhilosophyEnglishStanford Encyclopedia of Philosophy — "Maimonides"
Internet Encyclopedia of PhilosophyEnglishInternet Encyclopedia of Philosophy — "Moses Maimonides (1138—1204)"
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