パスカル
人は考える葦である ——それで十分か?
天才数学者にして、信仰に賭けた思索家
- 考える葦
- パスカルの賭け
- 繊細の精神
時代の空気
17世紀前半のフランスはルイ13世のもとリシュリュー、続いてマザランが宰相として絶対王政を整備した時期だった。三十年戦争(1618-1648)とフロンドの乱(1648-1653)が国土と財政を揺さぶり、徴税官だった父エティエンヌは課税不満から一時パリを逃れた。デカルト『方法序説』(1637)以後、メルセンヌのサロンでは数学・物理学・神学が同じ机で議論されていた。アウグスティヌスの恩寵論を厳格化したヤンセン主義はパリ南郊のポール=ロワヤル修道院を拠点に広がり、イエズス会と対立して教皇庁から異端宣告を受けていく。トリチェリの真空実験(1643)以後、信仰と理性が一身のうちで衝突する時代だった。
01クレルモンの天才児
1623年6月19日、フランス中部オーヴェルニュ地方の町クレルモン(現クレルモン=フェラン)に生まれた。父エティエンヌ・パスカルは徴税官を務める法律家にして数学愛好家。母アントワネットは幼いブレーズが3歳のときに亡くなり、以後、父と姉ジルベルト、妹ジャクリーヌの四人家族で育つ。
エティエンヌは子供たちを学校に通わせず、自ら教育する方針をとった。教養の順序を厳格に決め、幼年期は語学と古典、数学は15歳以降に学ばせるつもりだった。しかし少年ブレーズは、父から数学の話を聞いただけで自力で幾何学の定理を導き始め、エティエンヌを驚かせた。12歳のときには、独学でユークリッドの定理に至ったと伝えられる。
1631年、一家はパリへ移る。エティエンヌは数学者メルセンヌの集まりに出入りし、息子を天才として披露した。1640年、16歳のブレーズは『円錐曲線試論』を書き上げた。パスカルの定理——六角形の六つの頂点が一つの円錐曲線上にあるとき、対辺の交点は一直線に並ぶ——が含まれるこの論考は、当時の数学者たちを瞠目させた。デカルトはこれを、年長者が代わりに書いたのだろうと疑ったほどだった。
02計算機、流体、真空
1639年、父エティエンヌはルーアンの徴税監督官に任じられた。膨大な数字の計算に追われる父を見て、ブレーズは機械式計算機の製作を思い立つ。1642年に設計を始め、1644年までに試作を重ねた。パスカリーヌと呼ばれるこの歯車式計算機は、桁上がりを自動で処理する世界初の実用計算機のひとつとして歴史に名を刻む。ただし部品の精度と価格の問題で量産は小規模にとどまり、商業的には広く普及しなかった。
1646年、パスカルはトリチェリの真空実験の報告を耳にした。当時、「自然は真空を嫌う」という思想が支配的だった。パスカルはトリチェリの実験を再現し、さらに発展させた。1648年には、義兄フロランタン・ペリエを通じてピュイ・ド・ドーム山での気圧実験を実施させた。山頂と麓で水銀柱の高さが異なることを実証し、真空の存在と気圧の原理を証明した。これは近代物理学の礎となる実験だった。
流体力学においても、閉じた容器内の流体に加えた圧力は等しく伝わるというパスカルの原理を定式化した。数学者・物理学者として、20代のパスカルはすでに時代を超えた業績を積み上げていた。
03修道院ポール=ロワヤル、妹ジャクリーヌ
1646年、ルーアンでパスカル一家はに接触する。アウグスティヌスの恩寵論を徹底したコルネリウス・ヤンセンの神学は、人間の自由意志を限定し、神の選びの絶対性を説く厳格な教義だった。パスカルの心にこの教えは深く刻まれた。
妹ジャクリーヌはパリ南郊の女子修道院ポール=ロワヤル・デ・シャンに入院を望んでいた。エティエンヌは反対していたが、1651年に父が死ぬと翌1652年1月にジャクリーヌは修道院に入り、のちに誓願してジャクリーヌ・ド・サント=ウフェミ修道女となった。ブレーズは愛する妹を失う感覚と、自分が世俗の成功を追い続けていることへの後ろめたさを同時に抱えた。
1656年から57年にかけて、パスカルはポール=ロワヤルのジャンセニスト神学者アルノーを弁護すべく、『プロヴァンシアル』(田舎の友人への手紙) を執筆した。全18通の書簡体論文は、イエズス会の緩い道徳神学を鋭く風刺し、ジャンセニスムの立場を擁護した。名文で知られるこの論争書はフランス散文の古典となり、後にヴォルテールは近代フランス散文の出発点となった傑作と高く評価した。しかしローマ教皇庁はジャンセニスムを異端とし、ポール=ロワヤルはやがて弾圧を受けることになる。
04"火の夜" 1654年11月23日
1654年11月23日月曜日、夜10時半ごろから深夜0時半ごろまで。
パスカルは後に「」と呼ばれる紙片に、その夜の体験を記した。書き出しはこう始まる——
火。アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神。哲学者や学者の神ならず。確かさ、確かさ、感動、喜び、平和。
二時間にわたる強烈な宗教体験だった。パスカルはこの紙片を羊皮紙に書き写し、二枚重ねて衣服の裏地に縫い付けた。着替えのたびに新しい衣服へと移し替え、生涯この紙片を身体から離さなかった。彼の死後、召使いが厚くなった衣服の裏地の中にそれを発見した。
哲学者の神でも学者の神でもない。アブラハムとイサクとヤコブの神——生きた神との、身体を震わせるような直接の出会い。この回心体験以後、パスカルの生の重心は完全に移動した。数学と物理学の輝かしい業績は、彼にとって「虚栄心の慰み物」に見え始めた。宮廷社交の生活を断ち、ポール=ロワヤルとの関わりを深め、もっぱら神学と信仰の問いに向かっていった。
人間は一茎の葦にすぎない。自然の中でもっとも弱いものだ。しかしそれはである。彼を押し潰すのに、宇宙全体が武装するには及ばない。蒸気一吹き、水一滴で彼を殺すに十分だ。だが宇宙が彼を押し潰すとしても、人間は彼を殺すものよりも尊いだろう。なぜなら彼は自分が死ぬことを、宇宙が自分に勝ることを知っているからだ。宇宙はそれを何も知らない。
05『パンセ』——考える葦とパスカルの賭け
回心後のパスカルの最大の仕事は、キリスト教弁証論の大著を書くことだった。それは「信じていない人々」——懐疑主義者や自由思想家——に向けて、信仰の真実を論証するはずの書物だった。しかしパスカルは完成させることができなかった。断片的なメモ、切れ切れの思想、走り書きの論証。これらを死後にの編集者たちがまとめたものが、1670年刊の『』(思想) として後世に伝わる。
「考える葦」の断章はその中核をなす。人間は自然の中でもっとも弱い存在だ——しかし思考する。宇宙は人間を知らないが、人間は宇宙を知る。この非対称性に、人間の偉大さと悲惨さの両方が宿っている。
もう一つの名高い断章が「」だ。神が存在するかどうか、理性だけでは決定できない。ならば賭けとして考えよ——神を信じて生きた場合、神が存在すれば無限の幸福を得る、存在しなければ有限の損失にとどまる。信じなければ、神が存在した場合に無限のものを失う。期待値の計算から、信仰を選ぶ方が合理的だ。これは信仰を確率と期待値の枠で論じた、近代的な意思決定理論の先駆として読まれている。
パスカルは人間の「(ディヴェルティスマン)」についても深く書いた。人間は自分の悲惨さに直面することを恐れて、絶えず何か別のことに気を紛らわせようとする。狩り、賭け、戦争——それらは目的ではなく、空虚から逃れるための手段だ、と。
0639歳の夭折
パスカルの生涯は病苦との闘いでもあった。幼少期から頭痛と消化器の疾患に悩まされ、18歳の頃から体の麻痺感が続いていた。回心後は自ら苦行を課した。贅沢を遠ざけ、粗末な食事を選び、鉄の棘を縫い付けたベルトを腹に巻いた。快楽や慰めに傾いていると感じると、棘を体に押しつけ自分を戒めた。
1658年ごろから健康は急速に悪化した。激しい頭痛と歯痛、眠れない夜。彼は痛みそのものを信仰の修練として受け入れた。「病気は、キリスト者の本来の状態である」と書き残した。病は健康な者が持ちがちな傲慢を打ち砕き、神への依存を教える——そのような思想がパスカルを支えた。
晩年、彼はパリの貧民街へ病人の見舞いに通い、財産を施しに費やした。最後の数ヶ月には天然痘の子を含む貧しい一家のために自宅を明け渡し、自身は姉ジルベルトの家へ移って病に臥した。1662年8月19日未明、激しい痙攣の発作のうちに息を引き取った。39歳だった。
最後の言葉は「神よ、われを見捨てたまうな」と伝えられる。天才の証明も、実験の成功も、論争の勝利も——最後に残ったのは、弱い一人の人間の、神への祈りだった。
07主要な出来事と著作
- クレルモン(オーヴェルニュ)に誕生。父エティエンヌは徴税官・法律家
- 一家パリへ移住。メルセンヌの数学者サークルに出入り
- 16歳で『円錐曲線試論』を執筆。パスカルの定理を発見
- 機械式計算機「パスカリーヌ」を設計・製造
- ピュイ・ド・ドーム山での気圧実験。真空と大気圧の原理を実証
- 父エティエンヌ死去。翌年1月、妹ジャクリーヌがポール=ロワヤル修道院へ入る
- 11月23日「火の夜」——回心体験。メモリアルを生涯衣服に縫い付ける
- 『プロヴァンシアル』全18通刊行。ジャンセニスム擁護、イエズス会批判
- キリスト教弁証論(後の『パンセ』)の断片を整理・執筆するも健康悪化
- 8月19日未明、パリにて死去。享年39。遺稿はポール=ロワイヤルの編集者たちが整理
- 死後8年、遺稿集『パンセ』がポール=ロワヤルの手で刊行される
残した思想の輪郭
- 考える葦 ― 人間は自然の中でもっとも弱い存在だが、思考することで宇宙を超える尊厳を持つ
- パスカルの賭け ― 信仰を確率と期待値で論じた近代的意思決定理論の先駆。理性の限界を自覚した上での信仰の選択
- 気晴らし(ディヴェルティスマン) ― 人間は自分の悲惨さに直面することを避け、絶えず気を紛らわせる存在だという人間論
- と幾何学の精神 ― 直観的に全体を把握する繊細さと、演繹的に論証する精密さという、二つの異なる知性の様式
- 無限・虚無の恐怖 ― 「二つの無限の間に投げ込まれた人間」という実存的孤独感——宇宙の無限と微粒子の無限の狭間に、人間は浮かんでいる
出典と確認メモ
7件- 文脈原典で確認済み定本確認済み
定本確認済み: quotes.ts pascal-1.context (『パンセ』断章 347 ブランシュヴィック版、遺稿集 1658-62 年頃成立、宇宙が押し潰しても人間は殺すものより尊い理由 = 自分が死ぬこと...
一次資料を開くPensées Br.347 全文 canonical: roseau pensant + 'parce qu'il sait qu'il meurt et l...
- 抜粋原典で確認済み定本確認済み
定本確認済み: 人間は一茎の葦にすぎない。自然の中でもっとも弱いものだ。しかしそれは考える葦である。彼を押し潰すのに、宇宙全体が武装するには及ばない。蒸気一吹き、水一滴で彼を殺すに十分だ。だが宇宙が彼を押し潰すとして...
一次資料を開くPensées Br.347 / Laf.200 / Sel.231 全文。'... Mais quand l'univers l'écraserait, l'...
- 抜粋原典で確認済み定本確認済み
定本確認済み: 人間は一茎の葦にすぎない。しかしそれは考える葦である
一次資料を開くPensées Brunschvicg fragment 347 全文。'L'homme n'est qu'un roseau, le plus faible ...
- 出典原典で確認済み定本確認済み
定本確認済み: pascal.mdx pullsource '『パンセ』断章347' は Brunschvicg edition 番号として正確 (Pensées Br.347 = Lafuma 200 = Sell...
一次資料を開くPensées canonical online edition (Dominique Descotes 校閲)。Br./Laf./Sel. 番号 cross-...
- 引用校訂版で確認済み原典確認済み
原典確認済み: 心には、理性の知らない理由がある
一次資料を開く学術校訂サイト penseesdepascal.fr の 'Le cœur a ses raisons que la raison ne connaît poi...
- 引用校訂版で確認済み原典確認済み
原典確認済み: これらの無限の空間の永遠の沈黙は、私を震撼させる
一次資料を開く学術校訂サイト penseesdepascal.fr で 'Le silence éternel de ces espaces infinis m'effrai...
- 引用原典で確認済み定本確認済み
定本確認済み: 人間のすべての不幸は、ただ一つのこと、部屋に静かに坐っていられないことから来る
一次資料を開くPensées Br.139 / Laf.136 / Sel.168 冒頭。'Tout le malheur des hommes vient d'une se...
つながり
- デカルト
同時代 — 1647年9月パリでデカルトがパスカルを訪問、真空をめぐる議論を交わす(パスカル書簡・姉ジルベルト『パスカル氏の生涯』)。数学では二人が確率論・射影幾何学の同時代的開拓者。パスカルは『パンセ』(断章76ほか)で「デカルトは不要にして不確か(Descartes inutile et incertain)」と批判、幾何学的精神と繊細の精神を区別
- モンテーニュ
批判的継承 — 『パンセ』のモンテーニュ言及は極めて多く、懐疑と自己内省の方法を認めつつ「神なき人間の悲惨」の章で神学的に乗り越えようとした(『メレとの対話』でモンテーニュの名を挙げて論評)
さらに読むならFurther Reading
パスカルの思索に近づく、手に取って損のない版を三冊まで。 岩波・ちくま・講談社学術文庫を基本に、原著または定評ある英訳を一冊添えています。
入門パンセ
ブレーズ・パスカル / 訳: 前田陽一・由木康 / 中公文庫
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Blaise Pascal / 訳: A. J. Krailsheimer / Penguin Classics
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生きた跡を辿るPlaces
パスカルが歩いた街・記された碑・思索が残る館。 机から抜け出して一度、場所の側から哲学に触れてみる。
さらに辿るならExternal References
パスカルを別の角度から辿るための外部リンクを並べています。 百科事典・原典アーカイヴ・記念館など、出典はそれぞれ性格が異なります。 リンク先のアクセス条件(閲覧のみ可、要登録、借覧制限など)は サイト側の表記を参照してください。
WikipediaWikipedia 日本語版「ブレーズ・パスカル」項
WikipediaEnglishWikipedia English — "Blaise Pascal"
Stanford Encyclopedia of PhilosophyEnglishStanford Encyclopedia of Philosophy — "Blaise Pascal"
Internet Encyclopedia of PhilosophyEnglishInternet Encyclopedia of Philosophy — "Blaise Pascal (1623—1662)"
Project GutenbergEnglishPensées(W.F. Trotter 英訳)— Project Gutenberg
『パンセ』英訳
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