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レヴィナス

Emmanuel Levinas·1906–1995·フランス·

他者の顔が、 私に何を命じるのか?

他者の顔に第一哲学を見出し、ホロコーストの後で倫理を存在論より先に置いた思想家

  • 他者
  • 倫理が第一哲学

時代の空気

ロシア帝国末期、リトアニアの古都コヴノ(カウナス)に生まれたリトアニア・ユダヤ人の家系である。家庭はヘブライ語の素養に支えられ、ロシア語・リトアニア語・独仏語が交差していた。1923年、17歳でストラスブール大学に渡り、1928-29年フライブルクでフッサールとハイデガーに学ぶ。1930年仏国籍取得。1939年動員、1940年から五年間ドイツ捕虜となり、ジュネーブ条約のもとユダヤ人将校隔離班として強制労働に就いた。リトアニアの両親と兄弟は全員ホロコーストで殺害された。戦後はパリの東方イスラエリット師範学校校長を務めながらタルムードを読み解き、生涯の友ブランショと並んで書き続けた。

01カウナスのユダヤ系、タルムードの家

1906年1月12日(ユダヤ暦5666年テベット月30日)、ロシア帝国領リトアニアのカウナス(当時ロシア名コヴノ)に、四人兄弟の長子として生まれた。父イェヒエル・レヴィナスは書店を営み、ヘブライ語・ロシア語・イディッシュ語の本に囲まれた家庭だった。両親はリトアニア訛りのロシア語で会話し、家庭にはヘブライ語素養が息づいていた。幼少期から家庭教師にヘブライ語聖書とタルムードを学び、リトアニア・ユダヤ教(ミトナグディーム)の厳格な学問的伝統の中で育った。

第一次世界大戦中、一家はウクライナのハリコフに避難した。ロシア語の学校で学び、ロシア文学 ― プーシキン、ドストエフスキー、トルストイ ― に没頭した。ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の「すべての人はすべての人に責任を負う」という一文は、生涯彼の脳裏に刻まれた。1920年、家族はカウナスに戻った。翌1923年、17歳のエマニュエルは高等教育を求めて単身フランスに渡る。当時のストラスブールはアルザス=ロレーヌ返還後まもないドイツとフランスの境界都市であり、ドイツ語の知的素養とフランス語の哲学が交差する場所だった。

02ストラスブール、フライブルクでフッサール/ハイデガーに学ぶ

1923年、ストラスブール大学に入学した。モーリス・プラディーヌに哲学を、シャルル・ブロンデルに心理学を、シャルル・カルトロンに古代哲学を学んだ。同級にモーリス・ブランショがいて、政治的立場の違いを越えて二人は生涯の友となる。1927年から1928年にかけて、ガブリエル・ペイファーとともにフッサール『デカルト的省察』のフランス語訳に着手し、1931年に出版した。これはのちに大陸現象学の流通の基礎をつくる仕事だった。

1928年、22歳。奨学金を得てフライブルク大学に移り、エトムント・フッサールの最後期の講演こうえんと、マルティン・ハイデガーのゼミを直接聴いた。時期は『存在と時間』(1927)刊行の直後、ダボス討論期にあたる。帰国後、博士論文『フッサール現象学における直観の理論』(1930)を執筆した。これはフッサールをフランス語圏に紹介した最初期の本格的研究で、サルトルはこの本を読んで現象学に開眼したという。1930年にフランス国籍を取得し、1932年、リトアニア出身のユダヤ人ライサ・レヴィと結婚した。

ハイデガーの『存在と時間』に深く衝撃を受けた一方、1933年にハイデガーがナチス入党とフライブルク大学総長就任に踏み切ったとき、レヴィナスは師を哲学的にも人間的にも断念した。1935年の小論『脱出について(De l'évasion)』には、ハイデガー的存在論からの離脱りだつの徴候がすでに刻まれている。戦後、彼はハイデガーと和解することを最後まで拒んだ。後年のタルムード講話「に向かって」(1963)では、「多くのドイツ人は赦せるが、ハイデガーを赦すのは難しい」と語っている。存在論そのものへの疑いが、ここから芽生えてゆく。

03ナチス占領、捕虜収容所

1939年、第二次世界大戦勃発。フランス陸軍の通訳つうやく将校として動員されたが、1940年6月にドイツ軍の捕虜ほりょとなった。ユダヤ人として絶滅収容所に送られる代わりに、ジュネーブ条約で保護される軍人捕虜として、ハノーヴァー近郊の第11B収容所(Stalag XI-B)のユダヤ系フランス兵隔離かくりユニットに収容された。フランス陸軍の制服に身を包み番号を付されたまま、約五年間、森林伐採と労役に従事した。捕虜であるという身分が、結果として彼を絶滅収容所から守った歴史的偶然だった。

収容所の片隅で、彼は小さな手帳に哲学メモを書き続けた。これらのノートは死後2009年に『捕虜ノート(Carnets de captivité)』として刊行されるが、ここで構想した『実存から実存者へ』(1947)と『』(1948)は、戦後すぐに刊行される。一方、リトアニアに残った父イェヒエル、母デボラ、三人の弟たちはカウナスのナチ・ドイツ軍と地元協力者により殺害さつがいされた。一族のうちで生き延びたのは、彼自身と、パリで娘シモーヌを抱えた妻ライサだけだった。妻と娘はブランショの尽力でオルレアン近郊のサン=ヴァンサン=ド=ポール会の修道院しゅうどういんに匿われ、終戦まで身を潜めた。「私の人生はホロコーストの影の下にある」と、彼は終生語り続けた。

04戦後パリ、東方イスラエリット師範学校校長

戦後パリに戻った彼は、1947年に東方イスラエリット師範学校(École Normale Israélite Orientale, ENIO)の校長こうちょうに就任した。地中海沿岸のユダヤ人コミュニティ(アルジェリア、モロッコ、中東)から教師を育てる学校で、以後三十年以上にわたってこの職を務めた。同じ1947年には、ジャン・ヴァール主宰の哲学コレージュで連続講演こうえん『時間と他者』を行ない、『実存から実存者へ』を刊行している。アカデミアではなく、ユダヤ人共同体の教育実務のなかで、彼は哲学を書き続けた。

同時に彼はパリの謎の碩学せきがくシュシャニ師(Mossé Chouchani)に出会い、1947年から1951年まで、対面口承の厳しいタルムード講読を受けた。同じ師に学んだ生徒のひとりに、後年の作家エリ・ヴィーゼルがいた。フッサールとタルムードの二重の訓練が、彼独自の思想の土台を作った。毎週金曜の夜には家族とブランショを招いてシャバットの食卓を囲んだ。哲学と信仰を分けず、しかし溶かしもしない生活だった。

05『全体性と無限』1961

1961年、55歳。主著『』(Totalité et Infini)を国家博士論文こっかはくしろんぶんとしてポワティエ大学に提出し、刊行した。副題は「外部性についての試論」。ハイデガーの存在論、ヘーゲルの全体性の体系を正面から批判し、倫理こそが第一哲学であると宣言した。

中心のイメージは(visage)だ。他者の顔は、私の意識の中に現前する現象ではない。顔はあらゆる現象を超えて、私に呼びかけ、命じる ― 「汝殺すなかれ」と。この命令は私が選ぶ前にすでに私を責任の場所に置く。私は他者に対して、無限の責任を負う。他者の苦しみへの応答可能性(responsabilité)が、私を私にする。一方、自我は他者に吸収されない隔絶かくぜつ(séparation)を保ち、その分離があるからこそ他者との真の関係が成立すると説かれた。

この書物によってレヴィナスは、1961年にポワティエ大学、1967年にパリ=ナンテール大学、1973年にパリ第4大学(ソルボンヌ)へと招かれ、遅ればせながら正式に大学教授となった。1976年に同大学を退官。60歳を越えてからのアカデミアへの本格参入である。

他者の顔は、汝殺すなかれ、と語る。

『全体性と無限』第3部

06『存在とは別の仕方で』― 身代わりの思考

1974年、68歳。第二の主著『存在とは別の仕方で、あるいは』(Autrement qu'être ou au-delà de l'essence)を刊行した。『全体性と無限』よりさらに過激に、存在論の言語そのものを振り切ろうとする書物である。

中心概念は身代わり(substitution)。他者のために苦しむこと、他者の位置に自分を置くこと ― これは自由な選択ではなく、私の主体性の根源にある「すでに-告発されている」(d'ores et déjà accusé)構造である。主体は自己同一性ではなく、他者に対する「ここにいる(Me voici)」という応答として立ち上がる。同時に、応答責任の時間は現在に同期しない隔時性かくじせい(diachronie)として描かれ、痕跡や過去の通時的構造として論じられる。

ポール・リクール、ジャック・デリダらが早くから彼の思想を評価し、デリダは1964年の長文論考「暴力と形而上学」でレヴィナスを論じた。この出会いはデリダの脱構築の倫理的転回の土台となる。1980年代以降、レヴィナスはフランス哲学の良心として世界的に読まれるようになった。

07タルムード講話、晩年

1957年以降、レヴィナスはパリのフランス語ユダヤ知識人会議で毎年タルムード講話を行なった。フッサール現象学の語彙で、ソタ篇、サンヘドリン篇、ヨマ篇を読み解く独特のスタイルが、ユダヤ思想とヨーロッパ哲学を架橋した。最初の講話集が『』(Quatre lectures talmudiques, 1968)であり、続いて『困難な自由』(1963)、『聖から聖へ ― 五つの新しいタルムード講話』(Du sacré au saint, 1977)などにまとめられている(別書『新しいタルムード講話』(Nouvelles lectures talmudiques)は死後の1996年刊行)。

晩年は自宅で家族と友人に囲まれ、静かに書き続けた。1995年12月25日、クリスマスの日に89歳で世を去った。葬儀でデリダが弔辞を読み、のちにそれを『アデュー ― エマニュエル・レヴィナスへ』として刊行した。パリ北郊パンタン墓地のユダヤ人区画に、後年に世を去った妻ライサと並んで埋葬されている。

08主要な出来事と著作

  1. リトアニア・カウナスのユダヤ系家庭に誕生。父は書店主
  2. ストラスブール大学入学。モーリス・ブランショと生涯の友情
  3. フライブルク大学でフッサールとハイデガーの講義を聴く
  4. 博士論文『フッサール現象学における直観の理論』。フランス国籍取得
  5. ペイファーと共訳でフッサール『デカルト的省察』仏訳を刊行
  6. ライサ・レヴィと結婚。後に娘シモーヌが生まれる
  7. 『脱出について(De l'évasion)』 ― ハイデガー的存在論からの離脱の徴候
  8. 通訳将校として動員後、独軍捕虜としてStalag XI-Bに五年抑留。リトアニアの家族はホロコーストで殺害
  9. 東方イスラエリット師範学校(ENIO)校長就任。『実存から実存者へ』、『時間と他者』講演
  10. 『全体性と無限』刊行。ポワティエ大学に国家博士論文として通過
  11. 『困難な自由』刊行
  12. デリダ「暴力と形而上学」発表
  13. 『四つのタルムード講話』刊行
  14. パリ第4大学(ソルボンヌ)教授に就任
  15. 『存在とは別の仕方で、あるいは存在の彼方へ』刊行
  16. ソルボンヌ退官
  17. 12月25日、パリで死去。享年89。パンタン墓地ユダヤ人区画に埋葬

残した思想の輪郭

  • 倫理が第一哲学である ― 存在論に先立って、他者への応答責任が哲学の出発点に置かれる
  • 顔(visage) ― 他者の顔は現象を超えて「汝殺すなかれ」と命じ、無限を開示する痕跡である
  • 無限の責任 ― 私は他者に対して、選ぶ以前にすでに責任を負う。この非対称が主体を成立させる
  • 身代わり(substitution) ― 他者のために苦しむことが、主体の自己同一性に先立つ根源構造
  • 全体性の批判 ― 体系・概念・存在論は他者を同一性に還元する全体化の暴力を孕む
  • タルムードと現象学の対話 ― ユダヤ思想と西洋哲学を混ぜず分けず、独自の言語で接続した
1995年12月25日、パリで死去。89歳。パンタン墓地(Cimetière parisien de Pantin)のユダヤ人区画に埋葬された。
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  • 文脈二次資料で確認済み要旨訳

    要旨訳: 1981 年に France Culture (フランス文化放送) で Philippe Nemo (1949-) と行ったラジオ対話を翌年書籍化したものの一節で、Lévinas (1906-1995...

  • 文脈原典で確認済み要旨訳

    要旨訳: levinas-1.context: 1961 年、Emmanuel Lévinas (1906-1995)『全体性と無限 (Totalité et Infini)』第三部「顔と外部性 (Le Vis...

    一次資料を開くTotalité et Infini (Martinus Nijhoff 1961) 4 Sections 構成 (Section I-IV)、Section ...

  • 抜粋原典で確認済み定本確認済み

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  • 抜粋原典で確認済み定本確認済み

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  • 出典原典で確認済み定本確認済み

    定本確認済み: 『倫理と無限 ― フィリップ・ネモとの対話』(1982)

  • 出典原典で確認済み定本確認済み

    定本確認済み: levinas.mdx pullsource '『全体性と無限』第3部' は書誌として正確。Emmanuel Lévinas 'Totalité et Infini: Essai sur l'Exté...

    一次資料を開くfr.Wikipedia『Totalité et Infini』記事で書誌 (Martinus Nijhoff 1961, 邦題『全体性と無限』) と4 Sec...

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