鄭和·1371–1433·明(中国)
「帝命を奉じて西洋を渡り、凡そ蕃邦の貢ぐ者あり、辺遠未だ化せざる者を柔遠の徳もて懐かしめ、畏威の兵もて撫す」
この言葉の背景
1431年冬、60歳の鄭和は第七次下西洋(最後の遠征)に先立ち、蘇州府太倉州劉家港の天妃宮と福建長楽南山寺の二か所に、過去六回の遠征の成果と第七次の決意を自ら刻んだ石碑を建てた。二つの碑は『婁東劉家港天妃宮石刻通番事蹟記』『天妃之神靈應記』の名で拓本が伝わり、鄭和遠征の一次史料として極めて重要。この pullquote は二碑の冒頭数段の統治思想を縮約した邦語意訳であって、碑文のある一段をそのまま訳したものではない。「柔遠の徳」(遠方の民を柔らかく懐かせる徳)は『礼記』『中庸』系の儒家的政治倫理で、武力の誇示ではなく礼と贈与による関係構築を説く。「畏威の兵」(武威を示す兵)との対で置かれているのは、武力を背景として持ちつつ、主作法は徳化にある、という朝貢外交の原則を示す。1431年のこの碑文の時点で、鄭和は既に28年間・6回の遠征を率いていた。第七次の帰路1433年、古里(カリカット)で病没。宣徳帝死後の明朝は海禁政策に回帰し、成化年間には兵部尚書劉大夏により遠征記録の多くが隠匿または焼失したと伝わる。