ホッブズ
人は生まれつき、 狼か?
自然状態は「万人の万人に対する戦い」― 近代政治哲学の始祖
- リヴァイアサン
- 自然状態
- 社会契約
時代の空気
暴力が常に傍らにあった時代だ。無敵艦隊が迫る年に生まれ、青年期にヨーロッパは三十年戦争の破壊に入り、壮年期には祖国が内戦に裂け、王が処刑された。宗教改革の余熱は冷めず、カトリックとプロテスタントの血は欧州中に流れ続けていた。ホッブズは貴族家の家庭教師として暮らし、大陸に亡命した王党派と交わり、パリでメルセンヌやデカルトと議論した。主権はなぜ必要か、人はなぜ互いを殺しうるか——その問いは、抽象ではなく日常の窓から見えていた光景だった。
01マルムスベリーの司祭の子
1588年4月5日、イングランド南西部ウィルトシャー州マルムスベリー近郊の村に生まれた。父は地元の教区牧師トマス・ホッブズ。スペインの無敵艦隊がイングランドに迫っていた、あの年である。母は難産で、恐怖のあまり早産になったと伝わる。ホッブズ自身は後に自叙伝の中で、「私は恐怖と双子で生まれた」と書いた。この言葉は単なる修辞ではない。恐怖はホッブズの哲学全体を貫く主題になる。
父は喧嘩早い性格で、近隣の牧師と乱闘騒ぎを起こしてマルムスベリーを去り、行方をくらました。幼いトマスの養育は、商人だった叔父フランシスが引き受けた。貧しくはなかったが、父親のいない少年期だった。それでも少年は聡明で、ラテン語とギリシャ語を早くに習得し、ウェストポート教区学校を経て14歳でオックスフォードのモードリン・ホール(現ハートフォード・カレッジ)に入学している。
内戦前夜のイングランドは宗教と政治が激しく絡み合う時代だった。国王と議会、国教会と清教徒、王権神授説と議会主権。この混乱した時代空気の中に少年は育った。やがてその時代の亀裂が、ホッブズに『』を書かせることになる。
02オックスフォード、そして家庭教師へ
オックスフォードで学んだカリキュラムはスコラ哲学が中心だった。アリストテレスの論理学、中世の三段論法。ホッブズはこれを退屈と感じた。本人の回想によれば、授業よりも地図を眺め、航路と国境を追うほうに時間を費やしたという。1608年に卒業すると、名門貴族キャヴェンディッシュ家の長男ウィリアムの家庭教師に就いた。この縁が、彼の人生を決定づけた。
キャヴェンディッシュ家はダービーシャーを本拠とする大貴族で、政界にも深くかかわっていた。ホッブズは単なる家庭教師に留まらず、秘書として書簡を管理し、政治議論にも参与する立場を得た。当主一族の死と就任を繰り返しながらも、ホッブズはこの家門と生涯にわたって関係を続ける。
大陸旅行はホッブズの知的変容を加速させた。フランスとイタリアへの旅の途上、友人の書斎でユークリッドの『原論』を偶然開いたときだったと伝わる。定理47 ― ピタゴラスの定理 ― を見た瞬間、「これは嘘だ」と思った。しかし証明を遡って読むうち、反論できなくなった。幾何学的証明のあの鎖状の力に、彼は打ちのめされた。人間の知識もこの方法で積み上げられるべきだ、と。また、若き日に取り組んだトゥキュディデスの『歴史』英訳(1629年刊)は、民主政の衆愚性に対する彼の懐疑を深める仕事でもあった。アテナイが煽動政治で自滅する様を、ホッブズは他人事として読まなかった。
03パリ亡命 ― ガリレオ、デカルトとの交流
1640年代のイングランドは内戦の瀬戸際にあった。チャールズ一世と議会の対立が深まり、ホッブズは『法の元本』と題する草稿を貴族院議員に回覧させた。国王の絶対的権威を擁護する内容で、王党派と見なされることは明白だった。身の危険を感じた彼は1640年末にパリへ亡命、11年を過ごすことになる。
パリでの亡命生活は、知的には豊かだった。ガリレオとは書簡を交わし、自然を機械論で捉える視点を磨いた。デカルトとは直接の対決もあった。デカルトの『省察』に寄せた反論として、ホッブズは精巧な批判を書いた。デカルトが「コギト・エルゴ・スム」で内省から確実性を導いたのに対し、ホッブズは「思考も物質の運動にすぎない」と唯物論の立場から押し返した。二人の間に友情は生まれなかったが、哲学史上の最も鋭い対話の一つが刻まれた。
また亡命中の1647年、ホッブズは天然痘で生死をさまよう病に倒れた。その回復後、精力的に書いたのが主著への準備だった。
04『リヴァイアサン』1651
1651年、ホッブズ63歳のときに刊行された『リヴァイアサン』は、近代政治哲学の起点となる書物である。その核心は三つの概念で組み立てられている。
自然状態。政府も法もない状態で人間はどう振る舞うか。ホッブズの答えは冷徹だ。人は本性として自己保存を求め、欲望に限りがなく、互いを恐れる。国家がなければ、各人は各人と戦う。これが「bellum omnium contra omnes ― 」である。自然状態の生は「孤独で貧しく、不潔で獣的で、そして短い」。
社会契約。この恐怖から逃れるために、人々は互いに合意する。自分のを一つの主権者(個人または合議体)に譲渡し、代わりに平和と保護を得る。この契約によって生まれるのが人工的な「国家(コモンウェルス)」である。旧約聖書の怪物の名を冠した国家 ― リヴァイアサン。
絶対主権。契約が成立すれば、主権者の命令には服従せねばならない。さもなければ契約の意味がない。さらにホッブズは、教会権力が世俗権力に干渉することを強く批判した。キリスト教の神権政治への挑戦は、宗教的な政敵を多数生み出すことになった。
このような状態においては、勤勉のための場所はない。なぜなら、その成果が不確実だからである。したがって、地の耕作も、航海も、海路によって輸入されうる品物の使用も、便利な建物もなく、多くの力を要する物を動かす器具もなく、地の表面に関する知識もなく、時の計算もなく、技芸も、文芸も、社会もない。そして最悪なのは、絶えざる恐怖と、暴力的死の危険があることだ。そして人間の生は、孤独で貧しく、不潔で獣的で、そして短い。
05国に戻って論争の日々
1651年末、ホッブズはイングランドに戻った。皮肉なことに、『リヴァイアサン』の刊行がパリ亡命を終わらせた。書物の中でカトリック教会を強く批判したため、フランスの聖職者たちの敵意を買い、パリに留まれなくなったのである。イングランドでは共和政(クロムウェルのプロテクタレイト)が続いていたが、ホッブズは「いかなる政府も実力で支配を維持している限り、服従には合理性がある」という論理で帰国を正当化した。
1660年の王政復古後、状況は一変した。かつてホッブズが数学と哲学を教えた亡命中の若者こそが、新たな王チャールズ二世だった。王はホッブズを懐かしみ、年100ポンドの年金を与え、宮廷での出入りを認めた。二人は一緒にテニスをしたと記録にある。王が「老ホッブズ」を気に入っていることは公然の秘密だった。
しかし議会と教会の敵意は収まらなかった。1666年のロンドン大火は「神罰」と語られ、その原因を不信心な書物に求める議員たちが、『リヴァイアサン』をやり玉に挙げた。無神論の嫌疑は刑事訴追の可能性さえ帯びた。ホッブズは一時、いくつかの草稿を焼いたとも伝わる。
加えてこの時期、ホッブズはもう一つの戦場でも戦っていた。数学者ジョン・ウォリスとの論争である。ホッブズは円の正方形化(πの作図による求積)を解いたと主張し、ウォリスはそれを繰り返し論駁した。この論争は数十年続き、ホッブズが死ぬまで決着しなかった。哲学の巨人が数学では頑固な誤りを犯し続けた、という後世から見れば悲喜劇的な晩節の一幕である。
06晩年・死
王政復古後のホッブズは、キャヴェンディッシュ家の本拠地であるダービーシャーのチャーツワース邸で多くの時間を過ごした。彼の長命は同時代人を驚かせた。70代になっても論争の矢を放ち、80代になっても著作を続けた。ラテン語で自叙伝詩を書き、散文の自伝も87歳のときに書き上げた。老齢に衰えを感じながらも、「無駄に生きるつもりはない」という気概が文面から伝わる。
88歳のとき、ホッブズはデヴォンシャー伯爵夫人の依頼でホメロスの『イリアス』と『オデュッセイア』を英語に翻訳した。批評家からは散文詩としての質を問われたが、本人は意に介さなかった。「これほど高齢でこれほどの仕事をした者は他にいない」とうそぶいた。若い頃、トゥキュディデスの『歴史』を翻訳して世に出た人物が、晩年にホメロスで締めくくるというのは、一つの完結とも言えた。ギリシャの言葉から始まり、ギリシャの言葉で終わる。
1679年12月4日、チャーツワース近くのハードウィック・ホールで死去。91歳。死の直前、脳卒中で言語を失ったとも伝わる。最期の言葉として記録されているのは「私は闇の中への大きな跳躍をする」というものである。信仰の篤い人間の言葉でないことは確かだが、死を前にして恐怖をつかみ返そうとする理性の意地のようなものが、そこに宿っている。恐怖と双子で生まれた男は、恐怖を凝視したまま世を去った。
07主要な出来事と著作
- ウィルトシャー州マルムスベリー近郊に誕生。無敵艦隊来航の年、早産
- オックスフォード卒業。キャヴェンディッシュ家の家庭教師に就任
- 大陸旅行。ユークリッド『原論』との出会いで幾何学的方法に目覚める
- トゥキュディデス『歴史』英訳を刊行
- イタリアでガリレオと会見
- 『法の元本』草稿回覧。身の危険を感じパリへ亡命
- デカルト『省察』に対する『第三反論』を執筆、論争
- 『市民論』刊行(ラテン語版は1642年)
- 『リヴァイアサン』刊行。イングランドに帰国
- 王政復古、チャールズ二世から年金を授与される
- 議会による著作調査。ウォリスとの数学論争が続く
- ハードウィック・ホールにて死去、享年91
残した思想の輪郭
- 自然状態(bellum omnium contra omnes) ― 国家なき状態では万人が万人と戦い、生は「孤独で貧しく、不潔で獣的で、短い」
- 社会契約 ― 恐怖から逃れるため、人々は自然権を主権者に譲渡することで合意する
- 絶対主権 ― 契約が成立すれば主権者の命令への服従が平和の条件であり、分割は許されない
- 唯物論的人間観 ― 思考も欲望も感覚も、すべて物質の運動として説明できる
- 人工国家 ― 国家は自然の産物ではなく、人間の理性と恐怖が作り上げた「人工的人間」である
出典と確認メモ
5件- 引用原典で確認済み原典確認済み
原典確認済み: 万人の万人に対する戦争(bellum omnium contra omnes)
一次資料を開くLeviathan 第13章『Of the Naturall Condition of Mankind』全文。'such a war, as is of eve...
- 引用原典で確認済み定本確認済み
定本確認済み: 言葉は賢者にとっては計算の標(しるし)であり、愚者にとってはそれだけで貨幣である
一次資料を開くLeviathan Part I Chapter 4『Of Speech』。原文確認: 'words are wise mens counters, they ...
- 抜粋原典で確認済み定本確認済み
定本確認済み: このような状態においては、勤勉のための場所はない。なぜなら、その成果が不確実だからである。したがって、地の耕作も、航海も、海路によって輸入されうる品物の使用も、便利な建物もなく、多くの力を要する物を動...
一次資料を開くLeviathan 第13章全文。'In such condition there is no place for industry...' から 'solit...
- 抜粋原典で確認済み定本確認済み
定本確認済み: 孤独で貧しく、不潔で獣的で、そして短い
一次資料を開くLeviathan 第13章末文。'and the life of man, solitary, poore, nasty, brutish, and shor...
- 出典原典で確認済み定本確認済み
定本確認済み: hobbes.mdx pullsource『『リヴァイアサン』第13章(自然状態の記述)』は pullquote (孤独で貧しく、不潔で獣的で、そして短い / および本文 PullQuote の長文 ...
一次資料を開く第13章全章名: 'Of the Naturall Condition of Mankind, as Concerning Their Felicity, an...
つながり
- デカルト
同時代 — ホッブズは『省察』(1641)の第三反論を執筆、デカルトはそれに応答。物質主義的一元論のホッブズは心身二元論を退け、数学的方法は共有しつつも形而上学的立場で鋭く対立。メルセンヌ書簡圏での論争は17世紀近代哲学形成の核心部分の一つ
- ルソー
反発 — ホッブズ『リヴァイアサン』(1651)の自然状態を「万人の万人に対する戦争」として描く立場に対し、ルソー『人間不平等起源論』(1755)『社会契約論』(1762)では自然状態を自足的で平和な状態とし、戦争は文明と所有権の発生後に生じるとして反論。主権論でも絶対主権ではなく一般意志を据えた
- ハンニバル・バルカ
共鳴 — 戦争状態における政治的知性
- ジョン・ロック
対比 — ホッブズ『リヴァイアサン』(1651)の自然状態=戦争状態・絶対主権論に対し、ロック『統治二論』(1689)は自然状態を理性的な自然法のもとで平和的・相互尊重的な状態と捉え、政府は生命・自由・財産を守るためにのみ存在し、抵抗権を含む限定的主権論を主張。17世紀英国社会契約論の二大対立軸
- マキャヴェッリ
先駆 — マキアヴェッリ『君主論』(1513執筆、1532刊)『ディスコルシ』(1517頃)は、政治を道徳から切り離し人間の自愛・恐怖・権力欲に基づくリアリズムで記述。ホッブズ『リヴァイアサン』(1651)は自然状態を「万人の万人に対する戦争」と定式化し、主権による統合を主張するが、マキアヴェッリ的政治リアリズムの系譜を17世紀イングランド内戦の文脈で発展させた
- ゲオルグ・イェリネック
批判的継承 — Hobbes『リヴァイアサン』(1651)の絶対主権論(一個の人格 (one person) としての sovereign、世俗的・脱神学的な主権概念)を、Jellinek は出発点として共有する。だが彼は『一般国家学』(1900初版/1914第3版)・『主観的公権の体系』(1892/1905)で、主権を絶対的な無制約ではなく「自己制限可能な法的能力」(Selbstbindung) として再定式化した。Selbstbindung は Hobbes 的絶対主権の継承であり、同時にそれからの離脱である
- ハンス・ケルゼン
対比 — Hobbes『リヴァイアサン』(1651)の絶対主権(一個の人格 (one person) としての sovereign)を、Kelsen は『一般国家学』(1925)『法と国家の一般理論』(1945)で規範秩序の人格化として再定式化する。「国家とは法秩序の人格化である」("Der Staat ist die Personifikation der Rechtsordnung.") の定式は Hobbes の問いを引き継ぎつつ、答えの形を決定意思から規範体系の自己関係へ変える。主権の同一概念が方法を変えて再構成される
さらに読むならFurther Reading
ホッブズの思索に近づく、手に取って損のない版を三冊まで。 岩波・ちくま・講談社学術文庫を基本に、原著または定評ある英訳を一冊添えています。
入門リヴァイアサン (一)
トマス・ホッブズ / 訳: 水田洋 / 岩波文庫
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生きた跡を辿るPlaces
ホッブズが歩いた街・記された碑・思索が残る館。 机から抜け出して一度、場所の側から哲学に触れてみる。
- セント・ジョン・バプティスト教会(オールト・ハクノール)墓所
ダービシャー, イギリス
ホッブズが晩年を寄寓したハードウィック・ホール近傍の教会、墓石あり
地図で見る →確認 2026-04-19
さらに辿るならExternal References
ホッブズを別の角度から辿るための外部リンクを並べています。 百科事典・原典アーカイヴ・記念館など、出典はそれぞれ性格が異なります。 リンク先のアクセス条件(閲覧のみ可、要登録、借覧制限など)は サイト側の表記を参照してください。
WikipediaWikipedia 日本語版「トマス・ホッブズ」項
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Stanford Encyclopedia of PhilosophyEnglishStanford Encyclopedia of Philosophy — "Thomas Hobbes"
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Project GutenbergEnglishLeviathan(1651)— Project Gutenberg
『リヴァイアサン』原著
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