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芸術的直観

クリストファー・ノーラン

Christopher Nolan·1970–·英米·

回り続ける独楽を映した人が、 なぜ卒業生に「現実を追え」と言ったのか。

『Memento』の逆向き編集から『Oppenheimer』の知の不可逆性まで。時間と視点を組み替える映画監督が、現実の重さをどう擁護してきたかを読む。

  • 時間
  • 視点
  • 物理性
  • 現実擁護
  • 70mm
CG と配信が広がり、フィルムと映画館が「失われかけたもの」になっていく時代 — ひらく

時代の空気

1970年ロンドン生まれのChristopher Nolanが映画を作り始めたころ、英国と米国の映画環境はサッチャー、レーガン後の市場化、冷戦終結、VHSとミニシアター文化を経て、1990年代末のデジタル編集とインディペンデント映画の興隆へ向かっていた。2001年以後の安全保障の空気、コミック映画の巨大化、配信前夜から配信時代への移行のなかで、HollywoodはCGとデジタル上映を広げる。一方でIMAX、70mm、劇場公開、物理フィルムは、失われつつある鑑賞形式として強く意識される対象になった。

01回り続ける独楽

画面の中で、小さな独楽(こま)が回り続けている。2010 年の映画の、最後のショットである。独楽は倒れるのか、回り続けるのか。映画はその答えを見せないまま終わる。

作った本人は、この場面について自分の解釈を語ることを避けている。代わりに、こう言っている。「あの曖昧さは感情的な曖昧さではない。観客にとって知的な曖昧さなんだ」(Wired Magazine、2010 年)。

監督の名は、クリストファー・ノーラン。記憶を逆向きにたどる映画。夢の中に夢を重ねる映画。時間を三つの層に分ける映画。順行と逆行がぶつかる映画。25 年にわたって、時間と視点を組み替える映画を作ってきた人である。

その人が、独楽の 5 年後、2015 年に大学の卒業講演に立った。Princeton 大学の Class Day(卒業行事)である。卒業式のお決まりの言葉は「夢を追え」だ。だが本人が語ったのは、その逆だった。

夢を追うな。。

— Princeton 大学 Class Day 卒業講演(2015 年)。『Inception』から 5 年、『Interstellar』の翌年に、卒業生へ向けて語られた言葉

夢の映画を作った人が、なぜ「夢を追うな」と言うのか。独楽を回し続けたまま映画を終えた人が、なぜ「現実」を語るのか。この問いに近づくために、時は独楽の 12 年前、1998 年に戻る。

02他人を尾行する視点

1998 年、ノーランは最初の長編映画『Following』を完成させた。週末だけ撮影を重ねた、低予算の作品である。物語は「他人の視点を尾行する」というものだった。誰の目で世界を見るか。この問いは、最初の一本からすでに出発点に置かれていた。

2 年後の 2000 年、が国際的な評価を得る。主人公は、短期記憶を失った男である。新しい出来事を覚えていられない。ノーランはこの男の語りを、観客自身が逆向きに体験する形で組んだ。物語が、終わりから始まりへ向かって進んでいく。

公開のころ、映画サイト IndieWire のインタビューで、本人はこう語っている。「観客に情報を渡す順序として最も適切なものを見つけることが問題で、年代順にすることに何の責任も感じない。人生でもそうしないんだから」(IndieWire、2001 年)。出来事の順ではなく、で物語を組む。本人の言葉では、これは形式の好みではなく、作り方そのものの出発点として置かれている。

同じインタビューで、逆向きの語りは観客をだますトリックではない、と説明されている。本人はそれを「」という考えから語る。「映画というのは、観客を他人の視点の中へ引き入れるための、素晴らしい媒体だと思う」(IndieWire、2001 年)。記憶がつながらない男の頭の中を、観客も同じ順番で体験する。逆向きの編集は、そのための視点の設計だった。

他人の視点に入る。時間の順番を組み替える。次にノーランは、この二つを夢の中へ持ち込む。

03夢の中の建築

2010 年の『Inception』は、夢の階層を重ねる映画である。雑誌 Wired のインタビューで、本人は映画と建築の似ているところを語った。

「建築家が作った 3 次元空間を体験することと、2 次元媒体からショットの積み重ねで 3 次元現実を組み立てる映画ナラティブを観客が体験することの類似に、強い関心がある」(Wired Magazine、2010 年)。

平らな画面に映る場面を積み重ねて、観客の頭の中に立体の世界を組み立てる。この発言からは、映画を時間の上に建てる建築として見る見方が読み取れる。

そして最後の独楽である。本人は解釈を語らない。「あの曖昧さは感情的な曖昧さではない。観客にとって知的な曖昧さなんだ」(Wired Magazine、2010 年)。答えは渡さない。しかし、気持ちの落ち着く場所は与える。この線引きは、25 年の作品を通して見える。

夢を組み立てる映画を作った人は、その 4 年後、正反対に見えるものへ向かった。本物の物理学である。

04ブラックホールを描く

2014 年の(Paramount / Warner Bros / Legendary / Syncopy)に、一人の物理学者が加わった。(Kip Thorne、1940-)。Caltech(カリフォルニア工科大学)の理論物理学者である。この映画では executive producer と science consultant を務めた。

映画の中心にあるブラックホール「Gargantua」の見え方は、ソーンの計算をもとに描かれた。アインシュタインの重力場方程式から導いた数値解を使ったものである。その経緯は、ソーン自身の本『The Science of Interstellar』(W. W. Norton、2014)に記録されている。ノーランはこの本に Foreword(序文)を寄せた。

同じ本の中で、ソーンは二つのことを並べて書いている。ノーランが物理学の厳密さを変えた箇所がいくつかあること。そして、その判断が物語を組み立てるうえで妥当だったこと。物理学者の意見にすべて従ったのではない。現実の物理を捨てたのでもない。科学監修と物語設計の、両方の記録である。

夢を扱う映画の 4 年後に、最先端の現実の物理を主題に置く。SF を作る人が、物理学者と並んで働く。この選択は、あとから見ると、翌年の卒業講演への補助線になる。

05現実を追え

2015 年、Princeton 大学の卒業講演。ノーランは、卒業式のお決まりの言葉「夢を追え」をひっくり返した。「夢を追うな。現実を追え」(Princeton 公式 release、2015 年)。

ただし、話はそこで終わらない。夢か現実か、という(二つに分けて対立させる考え方)に閉じないのである。「現実を追うのは夢を犠牲にしてではなく、夢の基礎としてだ、と理解してほしい」(同前)。続けて「現実は重要だ。超越されることはない」(同前)とも語っている。

『Inception』の作者が、夢と現実の対立をひっくり返すのではない。夢の土台としての現実を守る。形式を組み替える作家の中で、現実は材料ではなく、向き合う相手として置かれていた。

その 8 年後、2023 年ので、ノーランは「知の不可逆性」を主題にした。一度知ってしまったことは、元に戻せない。Bulletin of the Atomic Scientists(原子科学者の会報)のインタビューがある。そこで本人は、核兵器を作る判断のあとに人類が生きてきた 80 年について語っている。核兵器を物語の材料として扱うのではない。知が一度開かれたあとの、取り消せなさそのものを画面に置く。2015 年の「現実は超越されない」と、2023 年の「知の不可逆性」は、8 年をはさんで響き合っている。

ここまでは、本人が新しく作ったものの話である。だがノーランの仕事には、もう一つの面がある。前の時代の映画を、物理的に残す仕事である。

06キューブリックと黒澤の隣で

ノーランが「formative experience(自分を形づくった体験)」として繰り返し語ってきた一本がある。の『』(1968)である。7 歳のとき、父親と London の Leicester Square Theatre でこの映画を観た。その体験を、本人は後年、複数の媒体で語ってきた。

2018 年、Cannes 国際映画祭で『2001』公開 50 周年の上映があった。ノーランはその "unrestored" 復元を監修している(Variety、2018 年)。物理フィルムを、未来の世代がもう一度修復できる形で残す。前の時代の作家を引き継ぐ姿勢が、技術の仕事として現れた例である。

前の時代への接続は、リストにも残っている。2007 年、(古典映画を復元・発売する米国のレーベル)に、ノーランは自選の Top 10 を提出した。Stroheim『Greed』(1924)、Welles『Mr. Arkadin』(1955)、Lang『The Testament of Dr. Mabuse』(1933)、大島渚『戦場のメリークリスマス』(1983)。Hollywood の娯楽映画だけでなく、20 世紀映画史の古典を引き受けようとする姿勢が、リストとして残されている。

PhiloGlyph の中で、同じ Criterion 系の文脈に置ける作家に、黒澤明がいる。両者を直接結ぶ本人発言の primary(一次資料)は、本 entry 執筆時点では確認しきれていない。だがどちらも、自分より前の映画作家を inimitable(まねのできない存在)と認めたうえで、模倣ではなく独自の語法を組み立てた監督である。20 世紀の古典シネマの伝統への参加という点で、同じ文脈に置いて読むことはできる。直接の対話を経ない同窓性、と呼べる関係である。

時間を組み替える仕事。現実を守る言葉。先人のフィルムを残す仕事。三つはばらばらに見える。だが、ある一点で重なる。

07観客に渡される知的曖昧さ

冒頭の独楽に戻る。時間と視点を再設計する手つきと、現実を擁護する立場と、先人の映画を物理的に保存する仕事。これら三つは、別々の活動に見えて、観客に何を渡そうとするかという点で重なっている。経験順序を選び直すことも、独楽を回し続けることも、70mm を photochemical(化学処理による写真フィルム)で復元することも、答えを観客に押しつけずに、考え続ける素材として手渡す身振りである。

『Memento』の時点で、その設計はすでに言葉になっていた。「俺は 3 年かけてこれを作っているのに、観客は 2 時間で観ることになる。だから一度では受け取りきれない複雑さで動いていなければいけない」(IndieWire、2001 年)。再見を前提にした設計は、観客への信頼の表明としても読める。

形式の操作と現実の擁護は、ここで一つの姿勢の表と裏になる。『Memento』の逆向き編集は、観客をだます仕掛けではなく、他者視点の装置としての映画を成り立たせるための、視点の再設計だった。時系列順ではなく観客の経験順序で物語を組むことは、形式の趣味ではなく、方法論的な出発点として置かれている。『Interstellar』の科学監修は、物理を捨てることでも物理に従うことでもなく、現実を素材ではなく向き合う対象として置く作業だった。Princeton 2015 の「現実を追え」は、夢と現実の二項対立を反転させたのではなく、夢の基礎として現実を置き直した。『Oppenheimer』の知の不可逆性は、超越されない現実を、物語の主題そのものにした。形式を組み替えるほど、その形式が立つ床としての現実が要る。作品と本人発言からは、そう読める。

時間を年代順に並べない。視点を一つに固定しない。現実を超越しない。答えを渡さない。25 年の作家活動のなかで、ノーランの作品は、観客の側に判断の余地を残し続けてきた。

独楽はいまも回っている。倒れるのか、回り続けるのか。それを決めるのは作り手ではなく、画面の前に座っている観客の側である。夢の土台に現実を置け、という言葉を受け取ったあと、あなたはこの独楽をどう見るだろうか。

時間を年代順に並べず、視点を一つに固定せず、現実を超越せず、答えを渡さない。25 年の作家活動のなかで、Nolan の手は、観客の側に判断の余地を残す物語を作り続けてきた。
主要作品の年表をひらく

主要作品Works Timeline

  1. 1998
    Following映画(16mm B&W / Next Wave Films)
    長編デビュー作。予算約 3,000 ポンド、週末撮影で約 1 年。脚本も本人。
  2. 2000
    Memento映画(Newmarket Films / Summit Entertainment)
    Jonathan Nolan 短編原作。逆向き編集が特徴。アカデミー脚本賞候補。
  3. 2002
    Insomnia映画(Warner Bros / Alcon Entertainment)
    1997 年ノルウェー版のリメイク。Warner Bros との初仕事。
  4. 2005
    Batman Begins映画(Warner Bros / Legendary / Syncopy)
    Dark Knight Trilogy 第 1 作。Syncopy が主要制作に入る。
  5. 2006
    The Prestige映画(Touchstone / Warner Bros / Syncopy)
    Christopher Priest 同名小説原作。Jonathan Nolan と共同脚本。
  6. 2008
    The Dark Knight映画(Warner Bros / Legendary / Syncopy)
    IMAX で初の長尺撮影。Heath Ledger がアカデミー助演男優賞。
  7. 2010
    Inception映画(Warner Bros / Legendary / Syncopy)
    脚本も本人。回転廊下シーンは実物セット撮影。アカデミー脚本賞候補。
  8. 2012
    The Dark Knight Rises映画(Warner Bros / Legendary / Syncopy)
    Dark Knight Trilogy 完結編。IMAX 長尺撮影シーンを大幅拡張。

つながり

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さらに辿るならExternal References

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出典 Citations

  1. インタビュー

    『Memento』公開時の long interview。「人生は年代順じゃない」「映画 = 他者視点装置」という時間 / 視点テーマの起点 quote が含まれる。最初期 Nolan の作家論として primary。

    IndieWire "Christopher Nolan Remembers Memento" (Anthony Kaufman), 2001-03-16 ▸

  2. 公式発言

    "Don't chase your dreams. Chase your reality." を含む keynote。夢 / SF を扱う作家による「現実擁護」の central source。Princeton 公式 release + 公式映像アーカイブで確認。

    Princeton University 公式 release / Class Day commencement 2015, 2015-06-01 ▸

  3. インタビュー

    『Inception』公開時のインタビュー。建築・夢・映画を接続する制作論と、ラストの「知的な曖昧さ」についての primary source。

    Wired Magazine "Q&A: Christopher Nolan on Dreams, Architecture, and Ambiguity" (Robert Capps), 2010-11-29 ▸

  4. インタビュー

    50 周年 70mm 復元時のインタビュー。"Kubrick is inimitable" / "Anything you do needs to be reversible by future generations" の出典。20 世紀映画の古典遺産を引き受ける姿勢の primary。

    Variety "Christopher Nolan on Restoring Kubrick's 2001: A Space Odyssey", 2018-05-16 ▸

  5. インタビュー

    Oppenheimer 公開直後の long interview。「知の不可逆性」「Rorschach test としての Oppenheimer」など、現実と歴史素材を扱う姿勢の primary。

    Bulletin of the Atomic Scientists "An extended interview with Christopher Nolan, director of Oppenheimer" (John Mecklin), 2023-07-17 ▸

  6. インタビュー

    映画監督組合公式 quarterly カバーストーリー。IMAX / 70mm / film vs digital / 視点論など制作論の primary。物理フィルムと大型フォーマットへの姿勢を確認できる。

    DGA Quarterly Spring 2012 "The Traditionalist" (Christopher Nolan インタビュー), 2012-04 ▸

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