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柳田國男

Yanagita Kunio·1875–1962·日本·

常民の声は、 どう聞き取れるか?

官僚から民俗学者へ、日本列島の無名の人々の暮らしと信仰を学問にした開祖

  • 民俗学
  • 遠野物語
  • 常民

時代の空気

明治末から昭和の敗戦後まで、近代化と忘却が同じ速度で進んだ時代だった。明治政府の神社合祀政策(明治三十九年-)は村社を統廃合し、土地の小さな祠と祭祀を消していった。フレイザー『金枝篇』とタイラー文化人類学は西欧から届きはじめ、自由民権と社会主義運動が走る一方、農商務省の若い官僚は出張で全国の村を歩いた。第一次大戦と国際連盟、関東大震災、満州事変、日中戦争、敗戦——大きな波の合間で、柳田は山村と海辺と祖霊の話を聞き取り続けた。

01播州田原村、漢方医松岡家の六男

明治8年(1875年)7月31日(旧暦六月二十九日)、兵庫県神東郡田原村辻川つじかわ(現兵庫県神崎郡福崎町西田原)に生まれた。父松岡操(号・約斎)は漢学者にして神官・医師、母たけの六男で、兄弟は男子八人を数えた。本名は松岡國男。兄に松岡鼎(医学)、井上通泰(歌人・眼科医、井上家に養子入り)、弟に松岡静雄(海軍軍人・言語学者)、松岡映丘(日本画家)がいる。

幼少期の國男は、街道に沿う辻川の集落で、「地蔵の頭」と呼ばれる小さな石祠せきしや村の年中行事、老人たちの語る昔話に囲まれて育った。家が困窮した時期、11歳ごろの國男は茨城県布川町(現利根町)の長兄鼎の医院へ引き取られる。利根川沿いの田園地帯での生活は、水運と信仰の民俗を少年の記憶に刻みつけた。晩年の自伝『故郷七十年』(昭和33年、新聞連載)で柳田は、布川の小さな祠の扉を開いて見た丸い石と、そのとき空を見上げて数十羽の鳥が騒ぐのを目撃した奇妙な昼の記憶を、学問の原点の一つとして繰り返し語っている。

02一高から東京帝大法科、農商務省へ

明治26年(1893年)、第一高等学校に入学(明治30年卒)。明治30年(1897年)、東京帝国大学法科大学政治科に入学。在学中から新体詩を好み、田山花袋、国木田独歩、島崎藤村ら文学界・抒情詩の若い詩人たちと親交を結んだ。1897年刊行の『抒情詩』(民友社)に、松岡國男の名で詩が収められている。柳田は若き詩人として文学の世界に片足を置いていた。

明治33年(1900年)、東京帝大卒業、農商務省に入省。農政局・法制局を経て、官吏として19年余を勤めた。柳田にとって、農商務省の出張は「日本全国の田畑と村を見る仕事」であり、民俗学への萌芽が公務の中で育った。明治34年(1901年)、大審院判事・貴族院議員柳田直平の四女孝(たか)の婿養子むこようしとして柳田家に入り、柳田國男を名乗る。妻孝は3歳年上、後に三人の子(為正・三千子・恒子)を授かった。明治40年(1907年)には農商務省北海道庁への出張で寒冷地の村落を巡り、北の山村と海辺の暮らしへ目を開かれている。

03椎葉村行、『後狩詞記』『石神問答』 ― 民俗学への第一歩

明治41年(1908年)夏、柳田は宮崎県九州山地の椎葉村しいばそんに分け入り、焼畑と狩猟で暮らす山村の言葉と習俗を直接聞き取った。この椎葉行で、平地の農民とは別系統の「山人やまうど」概念が芽生え、後年の民俗学の原型となる。翌明治42年(1909年)、柳田は自費で『後狩詞記(のちのかりことばのき)』を50部印刷・配布した。狩猟民の言葉と習俗を記録した小冊子で、「民俗語彙」「狩猟民俗」の出発点となった。

続く明治43年(1910年)、『石神問答』を刊行。各地の塞神さいのかみ・道祖神・地蔵・庚申塔こうしんとうなどの石神信仰について、山中共古、、白鳥庫吉ら同時代の研究者との往復書簡を集めた書簡体の本である。石神信仰の学問的議論は、近代日本民俗学の原点となった。

この時期の柳田は農商務省の書記官を務めつつ、一方で田山花袋とともに文学座談会「竜土会」に参加し、夏目漱石、森鴎外とも交流した。鴎外の観潮楼歌会(明治40年頃-)には若手として出入りし、石川啄木らと並んで歌を詠んだ。柳田と鴎外の関係は、民俗学と純文学が交錯した大正初期の東京文壇の重要な一断面である。

04『遠野物語』1910 ― 平地人を戦慄せしめよ

農商務官の書生活の傍らで、柳田のもう一つの耳は山の語りへ向いていた。明治42年(1909年)8月、岩手県遠野出身の佐々木喜善(鏡石、当時満23歳)が柳田を訪ねた。佐々木は郷里遠野の古老たちから聞き集めた伝説・怪異・山人譚を、柳田の前で言葉のままに語って伝えた。柳田は佐々木の語りと採集資料を聞書ききがきとして筆記・編集し、文章にまとめて、明治43年(1910年)6月、『』として自費出版じひしゅっぱんした(書誌は「佐々木鏡石述・柳田国男著」)。初版350部、和装の小冊子だった。

119話から成る『遠野物語』は、山姥、河童、座敷童子、天狗、マヨヒガ、オシラサマ、異人(サンカ)、雪女、幽霊譚 ― 遠野の山と谷に息づく神々と異形の存在を記録した。自序の末尾で柳田は書く ― 「願はくは之を語りて平地人を戦慄せしめよ」。平地(都会)の知識人たちに、山人の世界を突きつけて戦慄させよ、という挑発的な宣言である。

『遠野物語』は刊行当初は批評界にほとんど黙殺されたが、大正期以降の民俗学・文学に巨大な影響を残した。三島由紀夫、水木しげる、柳宗悦、折口信夫、泉鏡花 ― 多くの後続が『遠野物語』を起点とした。なお明治四十年代、柳田は熊野の博物学者南方熊楠とも往復書簡を交わし、神社合祀じんじゃごうし反対の論陣で連帯しつつ、山人観・憑物つきもの観をめぐっては鋭く対立した。協力と確執がそのまま民俗学の幅を広げた関係である。

05貴族院書記官長、ジュネーブ、退官

大正2年(1913年)、柳田は高木敏雄と『』を創刊し、地方の民俗・方言・口承を在野研究者と共に集め始めた。翌大正3年(1914年)、に就任、以後5年、議院官僚のトップとして公務を担った。柳田の官歴のピークである。しかし公務の傍ら、民俗学への情熱は衰えなかった。『山島民譚集』(大正3年)などを公にし、文章は官報の文体と山村の語彙のあいだを揺れた。

大正8年(1919年)、貴族院書記官長を辞職。翌大正9年(1920年)から朝日新聞社の客員として論説・紀行を寄稿しはじめる。大正10年(1921年)から大正12年(1923年)まで、国際連盟委任統治いにんとうち委員会(Permanent Mandates Commission)委員としてジュネーブに滞在し、旧ドイツ植民地・南洋諸島なんようしょとうを含む統治枠組みの議論に加わって、国際的視野から日本の民俗を相対化する機会を得た。関東大震災(大正12年9月1日)の報を受けて帰国し、大正14年(1925年)に沖縄・奄美の紀行『海南小記』を発表、以後は本格的に民俗学者として生きる決意を固めた。

06成城の家、木曜会と民俗学の体系化

昭和2年(1927年)以降、柳田は東京成城に自宅を構え、若い研究者たちを集めて木曜会(柳田家での定期研究会)を開いた。折口信夫、早川孝太郎、渋沢敬三、宮本常一、今野圓輔ら、日本民俗学の主要な研究者がこの木曜会から育った。漱石の木曜会と名前は重なるが別物で、学問のサロンである。

昭和7年(1932年)、柳田は民俗学講習会を開き、(後の日本民俗学会)の母体を作った。昭和9年(1934年)、『一目小僧その他』を刊行、続いて昭和10年(1935年)に『民間伝承論』『郷土生活の研究法』で民俗学の方法論を体系化した。「常民(じょうみん)」という概念 ― 日本社会の基層を成す、名を残さぬ多数の普通の人々 ― を打ち出した。柳田民俗学の鍵概念である。

昭和12年(1937年)『』『歳時習俗語彙』、昭和14年(1939年)『』、昭和17年(1942年)『食物と心臓』。学会誌『民間伝承』を発行し、全国の在野研究者と知を結んだ。柳田の方法は、現地調査(フィールドワーク)、方言採集、民間信仰の記録、比較研究の複合だった。

願はくは之を語りて平地人を戦慄せしめよ。

『遠野物語』初版自序(明治43年6月)

07敗戦と『先祖の話』、『海上の道』 ― 晩年の総合

昭和20年(1945年)8月15日、敗戦。70歳の柳田は、9月に民俗学研究所を発足させ、翌昭和21年(1946年)『』を上梓した。敗戦の荒廃のなか、数えきれない戦没者の魂はどこへ還るかを問い、日本人の死霊観しりょうかんの核心に「祖霊それい」と「家の永続」を据えた。「人は死んで山に還り、祖霊となり、盆と正月に家に戻る」という日本的循環の死生観を提示した、戦後初期の重い書である。

昭和36年(1961年)、86歳で『』を筑摩書房から刊行(初出論考は昭和27年〔1952年〕より)。柳田は、日本人の祖先が南方から黒潮に乗って琉球弧経由で日本列島へ渡来したという仮説を、稲作伝来いなさくでんらいと貝と鳥の神話を手がかりに展開した。アカデミックな賛否は分かれるが、柳田民俗学の宇宙的スケールを示す遺言的著作である。

昭和22年(1947年)國學院大学客員。昭和26年(1951年)、文化勲章受章(76歳)。昭和37年(1962年)、文化功労者顕彰の年に世を去る——勲章と国家儀礼への距離は終生やや屈折したものだったが、民俗学が大学に制度化される道筋もこの晩年に付けられた。

08主要な出来事と著作

  1. 兵庫県神東郡田原村辻川に誕生。松岡家の六男、本名國男
  2. 11歳、茨城県布川町の長兄鼎の医院に引き取られる
  3. 第一高等学校で学ぶ
  4. 東京帝大法科大学入学、『抒情詩』(民友社)に新体詩を寄稿
  5. 東京帝大卒業、農商務省入省
  6. 柳田直平の四女孝の婿養子に入り、柳田國男となる
  7. 夏、宮崎椎葉村に分け入り「山人」概念が芽吹く
  8. 8月、佐々木喜善と知遇。『後狩詞記』を自費50部で刊行
  9. 6月、『遠野物語』初版350部を自費刊行
  10. 高木敏雄と『郷土研究』を創刊
  11. 貴族院書記官長
  12. 朝日新聞社客員となる
  13. 国際連盟委任統治委員会委員としてジュネーブ滞在
  14. 『海南小記』(沖縄・奄美紀行)
  15. 成城に居を構え、木曜会で折口信夫・宮本常一・渋沢敬三ら若手を育てる
  16. 民俗学講習会・民間伝承の会(後の日本民俗学会)を組織化
  17. 『民間伝承論』『郷土生活の研究法』で民俗学の方法論を体系化、「常民」概念を打ち出す
  18. 『山の人生』『歳時習俗語彙』
  19. 『木綿以前の事』
  20. 敗戦、9月に民俗学研究所を発足
  21. 『先祖の話』(死霊観・盆と祖霊・戦没者祭祀)
  22. 國學院大学客員
  23. 『海上の道』論考の連載開始
  24. 『海上の道』を筑摩書房から刊行、86歳
  25. 文化勲章受章
  26. 8月8日、成城の自宅で老衰により死去。享年87

残した思想の輪郭

  • 常民(じょうみん) ― 名を残さぬ多数の普通の人々を日本社会の基層に据えた民俗学の中心概念
  • 『遠野物語』 ― 佐々木喜善の語りを筆録した119話、山と谷の神々と異形を都会に突きつけた挑発
  • 祖霊と家の永続 ― 『先祖の話』に結晶した、死者が山に還り盆に戻る日本的死生観
  • 海上の道 ― 晩年の仮説、日本人の祖先が南方から黒潮に乗って渡来したという神話的系譜
  • 木曜会と民俗学の制度化 ― 折口・宮本・渋沢らを育てた成城の研究サロン、在野と大学を繋いだ
  • 官僚と民俗学者の二重生活 ― 貴族院書記官長から民俗学者へ、近代日本の学問史における稀有な経歴
昭和37年(1962年)8月8日、東京成城の自宅で老衰により死去。87歳。
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  • 解釈一次資料で確認済み原典確認済み

    原典確認済み: 明治 43 年 (1910) 6 月、柳田國男 35 歳が岩手県遠野出身の佐々木喜善 (鏡石、当時 24 歳) から明治 42 年 2 月頃より聞き取った口承を一字も加減せず書き留めた『遠野物語』初版...

    一次資料を開く明治 43 年 (1910) 初版『遠野物語』自序 verbatim 全文。'この話はすべて遠野の人佐々木鏡石君より聞きたり。昨明治四十二年の二月頃より始めて夜...

  • 抜粋一次資料で確認済み原典確認済み

    原典確認済み: 願くは之を語りて平地人を戦慄せしめよ。

    一次資料を開く明治 43 年 (1910) 初版『遠野物語』自序段落 7-8: 「国内の山村にして遠野より更に物深き所には又無数の山神山人の伝説あるべし。願はくは之を語りて平...

  • 抜粋一次資料で確認済み原典確認済み

    原典確認済み: 願くは之を語りて平地人を戦慄せしめよ

    一次資料を開く青空文庫 ID 52504 『遠野物語・山の人生』(岩波文庫 1960 底本)。1910 年 6 月 14 日初版 (聚精堂私家版) digitization。...

  • 出典一次資料で確認済み原典確認済み

    原典確認済み: yanagita.mdx pullsource '『遠野物語』初版自序(明治43年6月)' は柳田國男『遠野物語』(聚精堂、明治 43 年/1910 年 6 月 14 日初版) の自序を出典とする書誌...

    一次資料を開く青空文庫版『遠野物語』書誌欄: 「明治四十三年六月十四日 聚精堂発行」 を canonical 確認 (WebFetch 検証済 2026-05-04)。phi...

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柳田國男の思索に近づく、手に取って損のない版を三冊まで。 岩波・ちくま・講談社学術文庫を基本に、原著または定評ある英訳を一冊添えています。

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生きた跡を辿るPlaces

柳田國男が歩いた街・記された碑・思索が残る館。 机から抜け出して一度、場所の側から哲学に触れてみる。

  • 成城大学民俗学研究所(柳田文庫)所属

    東京, 日本

    世田谷区成城、柳田國男の旧居跡近くに開設。柳田文庫の原蔵書を継承

  • 柳田國男・松岡家顕彰記念館(福崎)生誕

    福崎, 日本

    兵庫県福崎町、柳田の生家を中心とする記念館。民俗学発祥の原風景

    地図で見る →確認 2026-04-19
  • 遠野(遠野物語の舞台)ゆかり

    遠野, 日本

    岩手県遠野市、佐々木喜善から聞き書きした『遠野物語』の舞台。伝承園や遠野市立博物館が立つ

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