平賀源内
「ご本業は?」—— その問いに答えられない人生は、失敗なのだろうか。
本草学・戯作・浄瑠璃・発明・鉱山——どの一つにも収まらず、制度の外の自由の代価をすべて払った江戸の多才
- 本草学
- エレキテル
- 戯作
- 多才
- 国益
時代の空気
18世紀後半の江戸は、大きな戦のない時代の爛熟のなかにいた。田沼意次が商業の力を政治に取り込み、長崎からは蘭書と器械が届き、湯島では物産会、両国では見世物が人を集める。身分は生まれで決まったが、才覚の売り場は増えていた。源内はその隙間を、速く、多方向に走った。
01「で、ご本業は」
平賀源内は、1728年(享保13)、讃岐国志度浦(現・香川県さぬき市志度)に生まれた。高松藩で蔵の番を務める下級武士の家、本名は国倫。その紹介のしかたは、生前も、没後246年のいまも決まっていない。
本草学者。物産学者。戯作(げさく)者。浄瑠璃作者。発明家。鉱山師。どれか一つでも看板になる仕事を、彼は全部やった。そして世間は、全部やる人間にきまって同じ問いを向ける。で、結局、ご本業は何ですか。
多才は、本人にとって祝福だったのだろうか。それとも、どこにも椅子のない人生の、もう一つの呼び名だったのだろうか。
02仕官御構 — 自由の値札
経歴は身分制の枠のなかで始まる。父の死をうけて蔵番の職を継ぎ、1752年(宝暦2)頃には長崎に約1年遊学、本草学や蘭学的な知に触れたとされる。1754年、「近年病身」を理由に退役願を出し、家督を妹婿に譲った。江戸で本草学者・田村藍水に師事し、湯島の薬品会——産物を持ち寄る博覧の場——に加わっていく。
1761年、高松藩をふたたび辞したとき、藩は「(しかんおかまい)」を付した。他家への仕官の禁止。この瞬間、彼が生涯どの藩にも幕府にも属せないことが、制度の側から確定した。
翌1762年にはを主宰し、全国から出品を集めた。1763年には、1757年から五回を重ねた薬品会の出品2000余種から約360種を選んで解説した『(ぶつるいひんしつ)』6巻を著した。才は、明らかに動いていた。動いていなかったのは、その才を受け止める椅子のほうである。組織を出る自由は、組織に戻れない不自由と同じ紙の裏表だった。その値札を、彼は30代の初めに、生涯分まとめて払っている。
03名前を増やす男
同じ1763年、江戸の店先には(ふうらいさんじん)名義の戯作が並んだ。『根南志具佐』——水死した歌舞伎の女形をめぐって地獄を笑いに変える諷刺。『風流志道軒伝』——主人公が異国・異界を遍歴し、外の眼で日本の世相を笑う談義本。学術書と地獄諷刺が、同じ年に、同じ一人から出ている。
1770年には福内鬼外の名で浄瑠璃『(しんれいやぐちのわたし)』を書いた。娘のお舟が、恋した男を逃がすために父の刃を身に受ける——発明と諷刺の人の筆とは思えない湿度の情話で、いまも舞台に残る。
世間が肩書を一枚に絞れと迫るなら、彼は名前の側を増やした。本名で学問を、風来山人で笑いを、福内鬼外で涙を。『根南志具佐』の題は「根無し草」と読める。根を持たないことを、隠すどころか筆名の看板に掲げたのではなかったか。
笑いは、余技ではなかったように見える。1774年の『放屁論』は、両国で放屁の芸を見せる男を擁護しながら、独創を欠いた世間を裏返しに諷刺したものと読まれてきた。身分の世間には、正面から言えないことがある。それを言うための回路が、彼にとっては戯作だった。この笑いの土壌の先に、のちの蔦屋重三郎たちの出版文化が育っていく。
04火花と、貧家銭内
1770年、二度目の長崎で、オランダ通詞の家にあった壊れた摩擦起電器を手に入れる。原理を記した蘭書はなく、手がかりは実物だけ。そこから約6年、手探りの復元がつづき、1776年、は江戸で火花を放った。
ただし、その火花の使い道は、大名屋敷での見世物と、効き目の定かでない医療だった。彼は電気の理論を打ち立てたのではない。輸入された驚異を、自分の手で開け直した人である。学問と興行のあわいに立つこの到達点は、彼の名を高くし、同時に「見世物にしかならない」という不遇のしるしにもなった。鉱山や通船の事業構想は多くが頓挫し、世間は彼を「山師」とも呼んだ。
1777年、『放屁論後編』に彼は一人の男を登場させる。名は貧家銭内。才を持ちながら用いられない貧乏な発明家——書いた本人の戯画と読まれてきた。肩書は世間が貼るもの、才は自分が使うもの。彼はそう生きてきたはずだった。だが、使いつづけた才に世間の置き場所がないとき、人は自分をどう笑えばいいのか。その自嘲までもう一つの作品にしたところで、笑いと痛みの区別は、もうつかない。
05非常の死
安永8年(1779)11月、彼は人を殺傷して伝馬町の牢に入る。相手や経緯は記録によって異なり、確かなことは多く残っていない。細部を断定することは、傷つけられた相手に対しても誠実ではないだろう。年の暮れ、安永8年12月18日——グレゴリオ暦では1780年1月24日——彼は獄中で没した。破傷風と伝わる。享年52。
罪人の死である。遺体は親友の杉田玄白らが引き取り、葬った。玄白は追悼の碑文を綴ったが、幕府をはばかって、その碑文を刻んだ碑は建てられなかったと伝わる。その文は「嗟(ああ)、非常の人」と始まる。尋常ならざる人が、尋常ならざる事を好み、行いも尋常ならず——なぜ尋常ならざる死を死んだのか。友はそう問うた。
世間は最後まで、彼に貼る一枚の肩書を見つけられなかった。代わりに友が残したのは、職業の名ではなく、生き方の名だった。
06関係性
書架で源内の隣に立つのは、直接の師弟ではなく、遠くで並行する人生たちである。
ベンジャミン・フランクリン(1706-1790)は、同じ「電気の世紀」の同時代人である。1752年に凧の実験で雷の電気的性質を示したフランクリンと、1776年にエレキテルを復元した源内。ともに印刷・出版と実務に根を持ち、アカデミーの外で複数の仕事を往復した。直接の交流はない。
本居宣長(1730年生)は、ほぼ同年生まれの対比である。宣長が古典の内側へ掘り進んで「日本とは何か」を問うたのに対し、源内は物産と蘭学的な知で外へ開いた。内へ向かう知と、外へ開く知。18世紀日本の学問は二方向へ同時に伸びていた。
福澤諭吉へは、蘭学の民間展開と実学の系譜という線が引ける。源内が登場する玄白の回想録『蘭学事始』の刊行に福澤は関わり、学問を生活と産業の役に立てる発想は明治へ接がれた。直接影響を示す史料は確認されておらず、系譜としての線である。
南方熊楠とは、制度の外の博物学という共鳴で並ぶ。大学や藩校の外で標本と書物を往復し、分類不能の多才ゆえに「何者か」を説明されつづけた点で、位置がよく似ている。
後世、源内は「日本のダ・ヴィンチ」とも呼ばれてきた。多方向の往復は確かに重なる。だが、宮廷のパトロネージに支えられたレオナルド・ダ・ヴィンチと、身分制の隙間を自前で走り抜けた源内とでは、自由の成り立ちが違う。呼称より、この違いのほうが多くを語るのではないか。
アダム・スミスとは1776年の一点で交差する。同じ年、スミスは『国富論』で国の富を理論から問い、源内はエレキテルの復元でものづくりの現場から問うていた。等置はできない。ただ、同じ問いを別の道具で考えた同時代性として、遠く響き合う。
つながり
- 蔦屋重三郎
先駆 — 1774年の吉原細見『嗚呼御江戸』に源内(福内鬼外)の序文が載り、当時大門口で細見を商っていた蔦重の関与が指摘される(確度は資料により揺れる)。源内の戯作が耕した笑いの土壌の先に、蔦重の黄表紙・洒落本の出版文化が育った
- ベンジャミン・フランクリン
同時代 — 18世紀「電気の世紀」の並行人生。フランクリン(1706-1790)は1752年に凧の実験で雷の電気的性質を示し、源内は1776年にエレキテルを復元した。ともに印刷・出版と実務に根を持ち、アカデミーの外で複数の仕事を往復した。直接の交流はない
- 本居宣長
対比 — ほぼ同年生まれ(1728/1730)の同時代人。宣長が古典の内へ掘る国学で「日本とは何か」を問うたのに対し、源内は物産と蘭学的な知で外へ開いた。内向と外向、二つの18世紀日本の知
- 福澤諭吉
先駆 — 蘭学の民間展開と「実学」の系譜。福澤は杉田玄白『蘭学事始』(源内が登場する回想録)の初刊(1869)と再版(1890、「蘭学事始再版之序」)に関わり、学問を生活と産業の役に立てる発想を明治へ接いだ。直接影響の史料はなく系譜としての線
- 南方熊楠
共鳴 — 制度の外の博物学。熊楠も源内も、大学・藩校の外で標本と書物を往復し、分類不能の多才ゆえに「何者か」を説明され続けた。地方(讃岐/紀州)から世界と直取引した知性の並置
- レオナルド・ダ・ヴィンチ
共鳴 — 「日本のダ・ヴィンチ」と後世呼ばれる多才ぶり。芸術と工学と博物を一人で往復した点は重なるが、宮廷のパトロネージに支えられたレオナルドと、身分制の隙間を自前で走り抜けた源内とでは自由の成り立ちが違う — クリシェを相対化する対の star
- アダム・スミス
同時代 — 1776年、スミスは『国富論』で国の富を分業と市場の理論から問い、源内はエレキテルの復元と物産事業で輸入代替のものづくり実務から問うた。等置はできないが、同じ問いを別の道具で考えた同時代性
この人が描かれた作品Portrayals
平賀源内が登場する、または題材になった作品。 物語で出会った姿から、実際に生きた跡へ。
登場べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜
大河ドラマ / 2025年 — 安田顕が演じる。蔦重の時代の江戸に生きた発明家・戯作者として、その死まで描かれた。
さらに辿るならExternal References
平賀源内を別の角度から辿るための外部リンクを並べています。 百科事典・原典アーカイヴ・記念館など、出典はそれぞれ性格が異なります。 リンク先のアクセス条件(閲覧のみ可、要登録、借覧制限など)は サイト側の表記を参照してください。
生誕地の記念館。旧邸・薬草園も
重要文化財のエレキテル実物