観阿弥·1333?–1384·日本(南北朝)
「衆人愛敬をもて一座建立の寿福とせり」
この言葉の背景
あらゆる観客に愛されることを一座存立の幸いとする原則。都の貴人から田舎の見物まで誰も捨てない — 神事の座から将軍の桟敷まで歩いた観阿弥の生涯をもっともよく要約する語である。定式化は息子の筆によるため、「観阿弥の思想」と断定はできないが、その芸の姿勢を示す言葉として読まれてきた。
観阿弥·1333?–1384·日本(南北朝)
「衆人愛敬をもて一座建立の寿福とせり」
あらゆる観客に愛されることを一座存立の幸いとする原則。都の貴人から田舎の見物まで誰も捨てない — 神事の座から将軍の桟敷まで歩いた観阿弥の生涯をもっともよく要約する語である。定式化は息子の筆によるため、「観阿弥の思想」と断定はできないが、その芸の姿勢を示す言葉として読まれてきた。