豊臣秀長·1540頃–1591·日本(戦国)
「内々のことは宗易(利休)に、公のことはこの宰相に。」
この言葉の背景
島津の軍勢に領国を侵され、助けを求めて大坂城へ上った老大名・大友宗麟が国元へ書き送った報告に残る、応接した秀長の言葉。恐怖が統治の道具だった時代に、政権の非公式・公式の相談の宛先を名指しで保証した「安心の設計」の一句である。秀長自身は書き残さず、彼の言葉は助けを求めに来た他者の書状の中にだけ残った。
豊臣秀長·1540頃–1591·日本(戦国)
「内々のことは宗易(利休)に、公のことはこの宰相に。」
島津の軍勢に領国を侵され、助けを求めて大坂城へ上った老大名・大友宗麟が国元へ書き送った報告に残る、応接した秀長の言葉。恐怖が統治の道具だった時代に、政権の非公式・公式の相談の宛先を名指しで保証した「安心の設計」の一句である。秀長自身は書き残さず、彼の言葉は助けを求めに来た他者の書状の中にだけ残った。